【無料公開】文字起こしブックレット:私と世界『川』 ゲスト・畠山重篤さん

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  • 02 5月 2025
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2025年4月3日、畠山重篤さんが旅立たれました。とてもさみしいです。
公私にわたってお世話になり、畠山さんのことを思うと、浮かんでくるのは感謝の言葉ばかりです。
こんなに早くお別れすることになるとは思ってもいなくて、なにもお返しできていないのにこれからどうすればいいのか、店でのトークイベントに参加してくれた方やヒマッコブックスの本を読んでくれた方たちにどうお伝えしたらいいのか、考えてもなかなか言葉にできないまま過ごしていました。
ようやくひとつ、はっきりしたのは、ヒマールはこれまで幸せなことに畠山さんからたくさんの言葉・お話を受け取ってきて、それらの言葉・お話は、これからもわたしたちからみなさんへ伝えていくことができる、ということです。

2020年秋に畠山さんをお迎えして開催したトークセッションは、コロナ禍で参加者を少人数に限定したため、参加できなかった方にも内容を知っていただけるよう、畠山さんにもご相談のうえ、オンライン配信の代わりに「文字起こしブックレット」を作成して販売しています。
ここに、その全文を無料公開することにいたしました。
ほぼ当日のようすのまま、1時間半にわたる畠山さんのお話、参加者とのやりとりを、まるごとお読みいただけます。長いので少しずつ、どうぞゆっくりお読みください。

印刷したブックレットで読みたい方は、ヒマール店頭とオンラインストアでお求めいただけます(税込330円+郵便代110円)。

*以下、無断転載ならびに印刷しての配布はご遠慮ください。

こぶな書店のサイトで「おおきな かわの むこうへ」もどうぞお読みください。

〈畠山重篤(はたけやま・しげあつ)さんプロフィール〉
「森は海の恋人」を主宰。宮城県気仙沼湾(舞根湾・もうねわん)でカキ・ホタテの養殖業を営み、1989年より漁民による植林活動を始める。2005年より京都大学フィールド科学教育センター社会連携教授を務める。2012年には国連より「フォレストヒーローズ」として世界で5組の内の一人に選出された。『日本〈汽水〉紀行』(文藝春秋)で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。『人の心に木を植える』(講談社)、『鉄は魔法つかい』(小学館)など著書多数。2022年、ヒマッコブックス(ヒマール+こぶな書店)より孫・凪(なぎ)との共著『ととのはたけと、うたれちゃったしか』を刊行。この本をベースとした『にんげんばかり そばを たべるのは ずるいよ』(童話屋)が生前最後の作品として2025年5月刊行予定。

around me 私と世界 vol.3
テーマ「川」
トークセッション ゲスト:畠山重篤
さん
2020年11月7日、ヒマールにて。
企画・主催:ヒマール/協力:こぶな書店
*情報やデータの補足はしていませんので、気になった方はどうぞ各自で調べてみてください。

畠山重篤さんからのお話

 こういうタイトルを与えてくれる人はいないかなと、ずっと思ってたんです。テーマ「川」。これについて語りたくてうずうずしてたんですよ。今日は、まだいろいろ言わないでおこうと思っているネタを結局は言わざるを得ないんじゃないかと思うくらい、興奮しています。

 私の商売は牡蠣の養殖業という仕事です。牡蠣といえば広島が日本一の産地ですよね。なぜ広島が日本一の産地かというと、あそこに太田川という一級河川が流れ込んでいるわけです。
 川の水と海の水が混じりあった水域を「汽水域」と言いますが、実は、私は今年(2020年)「汽水の匂いに包まれて」(マガジンランド)という本を出版しました。(本を見せながら)後ろには牡蠣が描いてあり、表紙も牡蠣のデザインです。これはうちの孫が描きました。今年、水産系の大学へ入りまして養殖業の後を継ぐと言ってますので、もう少しで、孫の代で我が家は牡蠣漁師百年になります。何の商売でも百年続く家業というのはそう多くはないですよね。
 東日本大震災から大体10年になりますが、空前絶後の大被害を受けて、私自身ももう本当に終わりだと思いました。でも、海は復活しました! 海さえ復活すれば、我々の商売はすぐに成り立つんです。何がすごいかというと、牡蠣をつくるのにエサ・肥料が一切要らない。養殖業というと、魚の養殖を思い浮かべますよね? 魚の養殖は、毎日エサを朝晩2回やらないといけないんです。そうすると売り上げの6割はエサ代。例えば1億円売り上げがあったら6,000万円はエサ代です。そこから人件費やなんだって差っ引かれたらね、全然、大した儲けじゃないわけです。ところが牡蠣の養殖はエサ代がかからないから! ご家庭だってエンゲル係数というのがありますよね? 食費がなければどれだけ家計が楽か(笑)。そんな具合の商売ですから、つまりは自然さえよければこの商売は成り立つわけです。

 それで、なぜ東日本大震災の大被害を受けた環境から立ち直れたかというと。
 その前の約30年間、「森は海の恋人」というテーマを掲げて、気仙沼湾に注ぐ川の上流に落葉広葉樹、毎年葉っぱが落ちる木をね、ずっと植え続けて、川の流域の環境保全を主張しながら山に木を植え続けてきたわけです。
 東日本大震災の後、海や川の流域の環境がどういうふうに変遷していくかということを調査するために、京都大学の田中克先生という日本を代表する魚類学者の方が中心になって、学生を連れて調査に来てくれました。
 先生方が調査に来る前の海は、津波でありとあらゆるものが海に流れ込み、油タンクも流れて火がついたりして本当にむちゃくちゃですよ。あの津波は、水の難と火の難がふたつ重なった。海はもう真っ黒で、生き物の住めるような状態ではない。いろんな学者の人がいろいろ言って、「気仙沼の海は毒の水でもう死んだ」と言われたんです。「毒の水」と言われて、私はもう本当にショックでした。私は生き物が好きな人間なものですから、それでこの仕事も選んでやってきているようなもので……。毒だと言われたら、それは生き物が生きられないってことですよね? ということは、こういう商売はもうできないってことですよね? これはすごいショックでした。
 私が一番最初に心配していたことは、牡蠣のエサになる植物プランクトン、それがどうなっているか。これが商売を続けていけるかいけないかの決め手になります。それで、プランクトンネットという、プランクトンを採取する目の細かい網の下にガラスのコップが付いているものですが、これをドボンと海に入れて広げるとガラスのコップにプランクトンがとれて、それを顕微鏡で見てもらいました。植物プランクトンって肉眼では見えないような、本当に小さいものですからね。で、田中先生が顕微鏡を覗いて何と言ったかというと、「畠山さん、安心してください。牡蠣が食いきれないくらいプランクトンがいます!」と。もうほんとにですね、涙がどっと出まして。これで再開できる、と思いました。さらに田中先生が言葉を継いで、「畠山さん、これは『森は海の恋人』運動の勝利だ」とおっしゃった。ああ、やっぱりそうだったのか、と。植物プランクトンさえ海にいれば、牡蠣はそれを水と一緒に吸い込んで食べて大きくなります。そしてこれは牡蠣だけのことではなくて、植物プランクトンを食べて動物プランクトンが増え、それを生まれたばかりの小魚が食べて大きな魚につながる、食物連鎖が続くということです。だから、牡蠣が食いきれないくらい植物プランクトンがいるってことは、その海は水産業が回復するという証拠なわけです。じゃあ、なぜ植物プランクトンが、牡蠣が食いきれないくらいいたかというと、結局ですね、それまでの約30年にわたる「森は海の恋人」運動が大きくここに寄与していたということです。
 自然界のメカニズムがどうなっているか、こういう話をすると少し眠くなる人もいるでしょうから、先に別の話をしましょう。

 実は、私は岩国に、ヒマールさんとのなんだか妙な接点ができて、ここ7〜8年来ています。錦帯橋の温泉に泊まったりしていて、目の前の錦川も見ていました。でも、この錦川をずっと気にはしてたんですけど、その流域を上流の方まで見る機会はなかった。それで今日、「川」というテーマを与えられたので、これはやっぱり錦川を一回見なきゃいけないと思って、朝早く起きて、東京から木工の芸術家が来られて運転をしてくれて、錦川を上流まで行って先ほど帰ってきたばっかりなんですよ。
 この木工の芸術家は震災の後、私にこの杖をプレゼントしてくれました。(杖を見せながら)これは左ねじりの木で、ものすごくしなりがあって丈夫なんです。この木の皮の跡のデザインがまたいいんですよね。で、これは「魔法の杖」だと言うんです。私は魔法使いになったわけです。震災の後の環境がああいうふうに復活したというのも、ある種の魔法でもありますよね。普通ではもう考えられないことですから。
 で、その方が今日運転してくれて上流まで行きました。それで、目に見えて分かりやすいものに、実はこれがいたんです。
(ぬいぐるみを取り出して)みなさん、ご存知でしょうか?「ニシキー」っていうゆるキャラ。これ、900円も出して買ってきました(笑)。錦町の広瀬にニシキー(オオサンショウウオ)を見られるところ(オオサンショウウオ保護施設)があるとは聞いていて、ただ今日は土曜日で休みということだったんですけど、とにかく行ってみようと行ってみました。鍵はかかってるんですけどトントンとやったら開けてくれて、宮城県から来たってことも若干あるかと思いますけど、特別にニシキーに、オオサンショウウオに会わせてくれたんです。歳は100歳以上だって。100年だよ! 1メートルちょっとあるんですよ。たまげたねー! テレビなんかでは見てますけど、テレビで見るのと実物を見るのとでは大違いだね。これ(ぬいぐるみ)のイメージともちょっと違うな(笑)。それで、「フタを開けるから絶対に手を近づけないでください」と。手を噛まれるんだって。噛まれて血がだらだら出てる写真が、そこに置いてあるんですよ。すごいリアリティを感じました。歯がすごく鋭いので、パクッとやられるとかなりひどいことになる。エサを食う時の、あるいは敵を襲う時の瞬発力はものすごいものがあってね、とても人間のこんな感じ(手をさっと引っ込める動作)じゃ、バクッとやられると。ものすごいスピードで噛みつくというんですよ。それで、カエルなんかと同じように呼吸をしなきゃいけないから、どのくらいの間隔で空気を吸いに上がるのかと思っていたら、じっとして動かなかったのに、ちゃんとサービス旺盛ですね、息を吸ってぶくぶくぶくと、そういうのも見せてくれた。やっぱり岩国は観光地だけあって、サービス精神があるなと思いました(笑)。
 で、そういう生き物がいるような環境のいい川なんだと分かりました。その川の環境が分かれば、その地域に暮らしている方の心も分かる……若干持ち上げすぎな気もしますけど(笑)、やっぱり岩国は自然に対して心優しい方々が暮らしているなと思いました。オオサンショウウオが100年生きてるということは、100年間、川の流域の環境を守ってきたということじゃないですか。錦帯橋だけじゃなく錦川そのものがどういうものか、そういう認識を川の流域に住んでいる方々が持つか持たないかで決まるわけじゃないですか。まあそういうふうに、いろいろと感心しました。

 何回も申しますが、私は牡蠣を養殖してまして、牡蠣の漁場というのは川の水と海の水が混じりあう汽水域というところです。ニシキーは最上流に近いところにいるわけだから、住んでいる人が少ないんですから、そりゃあ水がきれいなのは当たり前といえば当たり前です。一方で牡蠣は、人間の暮らしが全部あるところの一番どんづまりの最後のところ、そこが漁場になっています。だから牡蠣は、川の流域の自然もさることながら、川の流域に住んでいる人々の意識も分かっているというわけです。だって1個の牡蠣は1日200リットルの水を吸ってるんですから。人間が流したものも全部吸い込んでいるわけです、毎日200リットル。だから、牡蠣に聞けば川の流域に住んでいる人々の心まで分かるってことじゃないですか。えらいことですよ。
 広島は日本一の牡蠣の産地ですが、広島の人たちもそういう意味では、今でも牡蠣がちゃんととれているから、やっぱり中国地方の方々は毛利の殿様の影響かどうか、優しい気持ちを持ってる方々が川の流域に暮らしているんだなということも何となく分かります。

 ちょっと科学的に踏み込みます。じゃあ、植物プランクトンが増えるためにはどういう養分が必要かというと、植物プランクトンはその名の通り、植物ですから、肥料の三要素、窒素・リン酸・カリ、これがあれば植物は、畑の作物なども成長させることができます。でも海の植物が育つためには非常に不足している成分があるんです。それは何かというと、実は鉄分なんですね。
 鉄というと錆を思い浮かべたりして、あまり環境に対していいものじゃないように思うかもしれませんが、植物は第一に鉄を体の中に取り込んでおかないことには一切成長することができない、ということを認識していただきたいと思います。鉄は人間の体にとっても、血液の中のヘモグロビンの中心元素で、酸素をくっつけて体の隅々まで運ぶ大事な役目をしています。貧血になって酸素が行き渡らなくなると、生きていくことができなくなりますよね。植物も、実は鉄がなければ、生物として前進することができないんです。なぜかというと、(鉢植えのオリーブを指しながら)ここに緑色の葉っぱがありますね。緑色の色素はクロロフィル、葉緑素ですね。植物は葉緑素を作らなければ一切成長できません。葉緑素は何をしているかというと、今悪者になっているCO2(二酸化炭素)、これをCとO2に分ける作業をしている。光合成というこの仕事を葉緑素がしているわけです。その葉緑素をまず植物が作るのに鉄が不可欠なんです。
 ちょっと科学的なことで難しいかもしれませんが、今日は関心のある方がおいでになっているみたいなので、眠たくないようにお話します。
 窒素は、水の中に溶け込むと「硝酸塩」という形になります。硝酸塩を植物プランクトンが吸収しようとすると窒素に「還元」しなければいけません。お店で時々、何とか還元セールとかやってますよね。円高還元セールとか、昔はよくありました、輸入のワインが安くなってるからみんな買いに行こうとか。あれはお店の儲けをお客さんに戻してあげることを商売用語で還元と言っているわけですが、科学の世界では酸素とくっつくことを「酸化」と言い、これを外すことを「還元」と言います。植物が「硝酸塩を還元する」というのは「酸素を外してやる」ということです。その酸素を外す役目をしているのが「還元酵素」というものなんですが、この還元酵素が十分に働くのにどうしても鉄が要る。
 地上では土の中に鉄分が含まれていますから鉄不足ということはあまりないですが、海はですね、極端な貧血(鉄不足)なんです。なぜかというと、鉄は酸素と出会うとくっついて、酸化して錆びてしまいますよね。鉄は岩石や土の中に含まれていて、それが川から海に流れてきますが、その間に酸素がいっぱいありますから、どんどんどんどん酸素がくっついて大きくなって、海に届く頃には植物が吸収できない形の鉄になってしまうわけです。
 でも、太田川の河口には植物プランクトンがいっぱい増えている、ということは、植物が吸収できる形で鉄が供給されている、ということですよね!?

 このことは研究がものすごく難しくて、ずっと分からなかったんです。
 私たちは、気仙沼湾に注ぐ大川という二級河川をきれいにするために、平成元年(1989年)から落葉広葉樹の植林活動をずっと続けていました。やっぱり山が荒れれば川も荒れるし、最終的には泥水も海に流れてきますからね。科学的なメカニズムは分からずに、そういうことをスタートさせていたわけです。
 今から30数年前、私は北海道大学の松永勝彦先生と会って、そこには森林の腐葉土が絡んでいるという話を聞きました。
 落葉広葉樹は葉っぱが落ちますよね。太田川も、私は何回か上流まで自分の足で歩いて行ったことがあるんですけど、島根県境にはものすごくでかいブナの森があります。樹齢100年のブナの木に葉っぱが何枚ついているかというとーー林学という学問があるのですが、林学の学生はそれを数えなきゃいけないんですよーー30万枚だそうです。1年に30万枚の葉っぱが落ちる。2年、3年、4年、どんどん積もっていきますよね。葉っぱは腐ります。その腐った葉っぱの土と書いて「腐葉土」。この腐葉土ができるときに「キレート物質」というものができるんです。キレートはギリシャ語で「カニのはさみ」という意味だそうです。これが鉄を、まあイメージでいうと挟んでくれるわけです、カニのはさみのように。このキレート物質、難しい言葉ですが「フルボ酸」という成分が腐葉土の中でできて、これが鉄を挟み、その挟んだ形で植物の体の中に鉄を運ぶ役目をするということが分かってきたのです。つまり、土の中で先にフルボ酸が鉄にくっつくと、酸素が後でくっつけなくなってしまう、酸化しなくなるわけです。しかも、フルボ酸とくっついた鉄を「フルボ酸鉄」といいますが、水に浮かぶんです! だから、太田川からフルボ酸鉄が瀬戸内海に流れていて、植物はちゃんと鉄を吸収することができている。鉄を取り込むことができれば、窒素やリンなどを吸収することができて、植物プランクトンが増える。そういうメカニズムが分かったんですね。これは、世界中のどこの川に対してもあてはまる黄金律のようなものです。数学の公式のようなものですよ。
「森は海の恋人」、すごくいい言葉だと思っています。その言葉の優しさに惹かれてみなさん私たちのことを評価してくださいますが、その裏付けに、最近の言葉でいうとエヴィデンス、科学的な裏付けがちゃんとくっついてきてくれたということです。いやー、たまげましたね。

 私は牡蠣をつくっている人間として、そういう目線で川を見る力を与えられて、日本中の川をほとんど見ています。川と海との接点がどうなっているのか、全部見ています。そうすると、この国のグランドデザインをどうするか、いきなり話が大きくなりますけど、そういうものの見方ができるようになるんです。
 日本列島は真ん中に脊梁山脈があって、日本海と太平洋にうまい具合に川が流れ落ちていく国です。二級河川まで入れると約35,000の川が流れ落ちているそうですよ。錦川もそのひとつですね。だから日本という国は、周りを全部海水と淡水の混じりあった汽水域に包まれた国だ、ということが見えてきました。私は海辺に行くと汽水の匂いがわかるんです。それで、本のタイトルにも「汽水の匂いに包まれて」とつけました。このタイトルに反応してくれてる人もずいぶんいます。
 今日、錦川を遡っていく途中でちょっとお茶を飲みたいと思って喫茶店に寄ったら、いい本を売っていました。(本を見せながら)「お話が生まれる風景」(小西美奈子作)。これ、いいなと思って。つまり、風景を見ていろいろ話を作ることができる。私は今日、錦川の風景を見てきて話が作れる、というわけです。おあつらえ向きにこんなの(ニシキー)もいる。こういうキャラクターがいれば話が作りやすくなるでしょ? で、私がぱっと閃いた話は、ニシキーがねーー錦川の流域にこれ(オオサンショウウオ)小っちゃいのから大きいのまで1,500匹いるらしいですよーー大雨が降ると川に流されて海の近くまで来る。ニシキーは塩水には住めません。塩水まで来ると死んでしまいます。だからね、流れてきて淡水と海水が混じりあう近くまで来た時に、海側から上がってきた生き物と出会うわけですよ。それでね、恋が生まれるわけですよ。でもニシキーは塩水に行けない。死ぬから。そこでの、なんというか切ない気持ちを交えながら、川の流域の物語を書いたらいいんじゃないかなあと思って。後でヒマールに相談しようかなと思ってるんですけど。

 錦川の河口から流域を見て、やっぱり実際に見ると非常によくわかるということです。今日は現物を見られなかったんですけど、問題はダムですね。この川は意外とダムがあるんですよ。
 今年、球磨川(熊本県)が氾濫して大水害が起きて、たくさんの方が亡くなりました。あの球磨川の支流、川辺川にダムを造ろうという話がかなり前からありまして、賛成も反対もあった中で、コンクリートと鉄筋をやめて自然に近い川を作ろう、というような情勢になって、この川辺川ダムは中止になったんです(2009年)。そうしていたら今回、想像もできないような雨が降ってああいう被害が出てしまった。それでまたぞろ、ダム計画をやろうという話がまた起き上がってきました。こういう時にどう考えるか、ということですよね。錦川も今、支流にダムを造っていますよね。でも、ああいうものを造ると明らかにこういうもの(ニシキー)は死ぬ運命に、こういうものの生存にとっては問題が起きてくるわけです。
 オオサンショウウオのような生き物は、魚とか貝とかの生き物を食べています。その魚はーー鮎なんかもそうですけどーー岩に付いているコケみたいなものを食べていますし、貝は植物プランクトンを食べています。食物連鎖が続いてるわけですが、仮にダムを造ると、ダムから下の方は植物プランクトンの発生が止まってしまいます。そうすると結局は、川の生き物は住めなくなることに、どうしてもなっていくわけです。
 私は、この40年くらいの間ずっと日本中の川を見ています。実は私たちの気仙沼湾に注ぐ大川という二級河川、ここにも河口からたった8キロのところにダム計画が持ち上がりました。ダム計画プラス川の流域の環境が悪くなって海に赤潮が出たりしていた時でね。これ両方一緒にされてはもう、海は文字通り死ぬなというのが見えていました。当時も私は牡蠣の養殖をしていました。牡蠣の赤ちゃん、「牡蠣の種」といいますが、ホタテ貝の貝殻にくっついたものが流通してるんですけど、宮城県は世界一の牡蠣の種がとれるところなんです、北上川の河口で。なぜかというと、北上川の流域はすごく鉄分が多い地質なんです。例えば岩手県の水沢は南部鉄器で有名ですね。砂鉄がいっぱいとれるところです。北上川の上流(岩手県)は地質に鉄分が多くて、それが北上川から(宮城県の)海に流れて来る。だから、さっきのフルボ酸鉄が多くて、植物プランクトンが多くて、もうありとあらゆるものがとれる。その代表選手が牡蠣の種です。広島でつくっている牡蠣も、広島で牡蠣の種が時々とれなくなることがあって、その時はほぼ7割近くが宮城県から来ています。瀬戸内海と宮城県はそういうことでつながっているんです。日本中に牡蠣の種が行くんですよ。日本だけじゃなくてアメリカにも行くし、フランスにも中国も韓国にも。宮城県の種なので「宮城種(みやぎだね)」といいます。要するに牡蠣の種がとれるところなんですが、それもこれも結局ダムがないことがそういうことにプラスになっている。ダムを本流に造ってしまうと、間違いなく海が枯れます。造れば造るほど、残念ながらニシキーの子どもたちはできなくなるということです。
 その頃、私たちにそういう問題が起きていた時に、岐阜県の長良川の河口では長良川河口堰問題というのが起きていました。本流にダムのない最後の清流と言われていた長良川です。開高健が中心になって反対運動が起きて、天野礼子も来てカヌーがいっぱい来て、すごい反対運動があったんですよね。私たちもダムの問題を抱えていたので、時々長良川の河口堰の反対運動も行って見ていたわけですよ。で、これは建設省に負けるだろうと思いました。なぜ負けると思ったかというと、長良川の河川水が伊勢湾の生物生産とどう関わっているかというエヴィデンス、数字を持っていなかったんです。それで結局、押し切られてしまいました。長良川は、実は日本一のしじみの産地で、何万トンととれていたんですけど、河口堰ができてしばらくしてみたら全滅です。しじみが一番分かりやすい。そしてそれは、しじみだけじゃなくてありとあらゆるもの、つまり鉄分がストップしますから食物連鎖が続かないということになるでしょ? 海が枯れることにつながるわけです。
 これは科学的な裏付けがないといけないな、ということが私は身にしみて分かりました。それで松永先生にお願いして、2年かけて気仙沼湾の生物生産と大川が運ぶ養分の間にどういうメカニズムがあるか調査してもらいました。大学もお金がないから調査費をどうするかというようなこともあって……この話は時々してるんですけど、うちのお袋がそういう話を聞いていたんでしょうね、「ちょっと来い」と呼ばれてね。それで茶色い封筒を渡されて「これは船を新しくした時にお祝いにあげようと思って取っておいたお金なんだけど、これを北海道大学に送って松永先生の調査費の足しにして欲しい」と言われて。送りましたよ。それが北海道大学の総長か誰かの心を動かしたんでしょう、金額は大したものじゃないけどね。松永先生が(1993年〜)2年間来て調査をしてくれました。そして、気仙沼湾には約20億円ぐらいの牡蠣などの売り上げがあるんですが、もしダムができたら、おそらく8割、10億円を超えるぐらいは減ってしまうだろうと数字が出たわけです。そうしてしばらくたったら、二級河川ですから県の管轄ですが、いきなりパタッとダム建設が中止になったんですよ。いやー、うまくいきましたね!

「森は海の恋人」を通して、川の流域に住んでいる方々の心に漁師の気持ちを届けること、あと教育の世界にも足を突っ込んで、川の流域の子どもたちを海に呼んで森と川と海がどういうふうにつながっているか伝えるということをずっと続けてきました。今年でそういう体験学習の活動も30年になります。今までに約5万人の子どもたちを養殖場に呼んで、そういうことを伝え続けてきたんです。そしたらね、それが社会の教科書に載ったんです。それから中学3年生の国語の教科書、来年からの中学1年生の教科書にも原稿を書けという依頼があって、なんと夏目漱石の隣に私の文章が、へたくそな素人の書いたものが載るというんです。それはやっぱり心に届くってことですよね。それでダム計画もストップになり、やれやれと思って、海はかなりよくなって、これで俺の仕事も一段落と思っていたところへ東日本大震災です。いやー、本当にショックでしたね。でも、それもちゃんと復活して、今年はコロナ問題が起きてますけどーーいろんな飲食店で売上が減ったり、航空会社も赤字、J Rも赤字ーー国の補助金が出ますから、うちの息子に「おい、おまえ、うちでもちょっと補助金をもらったらどうだ?」と言ったら息子が下を向いてね、ああ、これはうちもいよいよダメなのかと思ったら「お父さん、売り上げ減ってないんだよ。逆に上がってる」と。エサ代がかからないわけだから(笑)。自然を守ればですね、こんな年でもーー自助・公助・なんとかって言ってますがーー自助でやっていけるわけです。しかも毎年、孫が産まれていまして。いやー、ここに比べたらもう僻地も僻地で不便なところですよ。普通そういうところはだんだん人が住めなくなっているところもあって、当然うちあたりも世の中の平均的なものの見方からすればそういうところですよね。しかし何とか飯を食って、しかも孫が毎年産まれて、今9人いるんです。9人! 何が少子化だ、うちへ来てみろってね。ですから、食っていければ自然発生的にどんどんつながるってことですよね。
 話はだんだんおかしくなってきましたけど。私は先月も、実は山口県に来てるんです。ちょこちょこいろんなことで呼ばれてね。瀬戸内海側の方は昔からご縁がありまして、宇部や岩国のヒマールにも来てましたが、あまり日本海側の方へ行くことはなかったんですけど、この度日本海側へ行く機会がありました。そこは安倍元首相の選挙の地盤です。いやー、(元)首相、自分は東京で暮らしてるからいいかもしれませんけど、選挙区の日本海側の漁村の惨憺たる廃れ方……これじゃ孫も産まれないなと思いました。日本海側の漁村、仙崎とか昔はクジラですごく栄えたところでしょ? 安倍元首相の選挙区、長門の方も道も狭いし、うちなんかに比べたら……。あの日本海側の海辺を私に任せてくれたらちゃんと飯が食えるようにしてみせるのにと思いました。大体想像はつきます。日本中を見てきてるから見えるわけです。へたくそだなー、ものをわかってないなーと思いました。それは何も、金を突っ込めばいいというわけじゃないですよ。余程いろんなことを知ってないとなかなかできません。そんなふうに物事が見えてくるのは、30年間活動をやって、自分の商売を大事にして、自分での成功例があるからです。気仙沼という非常に狭い地域ですけど、30年間やってきたことで飯が食える成功例になっていますから。川の流域に人の生活はある。35,000の川の流域に日本人の生活があるわけですよね。気仙沼方式というか「森は海の恋人」の方程式を、この35,000の川の流域にあてはめていけば、この国は大丈夫だということがわかってきたわけです。首相に聞かせてあげたいでしょ? やっぱりものを見ていないと思います。牡蠣屋はね、河口で暮らして毎日牡蠣から話を聞いていますから。牡蠣から聞けば川の流域の環境のことも、人の気持ちも全部分かるわけですよ。今日は川をテーマに話をしに来ていますが、(川といえば)カヌーを漕ぐ人もいるし、釣りをやる人もいる。文明の発祥地は全部川から生まれていますから、そういう視点での見方もありますけど、生身の人間として生身の牡蠣と話をしている私の立場から言えば、川については俺に任せろといいますか、意見を聞いてくれ、と。山口にもこれからちょいちょい来て、ちくちくしようかと思っているわけです。ここに来ると心地よいですからね。ヒマールは心地よいですよね。心地よさは重要です。

 もう少し、錦川のことに話を移します。
 初めて錦帯橋に来た時、上にお城がある山を見て、あそこの森は落葉広葉樹の物の見事な森で、ああ、ここの殿様は偉いなあと思いました。私から見れば(あの山が)フルボ酸鉄に見えるんです(笑)。そういうふうに保全してるんだろうなと、川の流域をまだ見ていなかったらずっとそう思ってたんです。だから錦帯橋も映えるんだなと思っていました。だけど今日ね、現実を垣間見てみますと、ちょっとここの人たち何考えてるんだろう? 錦帯橋にだけ頼ってちゃダメだなと思いましたね。川があって橋が活きるんですよ。橋があって川が活きるんじゃないんですよ。この掛け違えですよね。
 川の流域の森林、それとやっぱりダムです。おそらくこの地域もこれから人口が減っていくわけですから、川の水だってそんなに使わなくてもよくなる。もちろん水害の問題とか、いろいろ技術的な問題もあるとは思いますけど……これはうちの方の津波の防潮堤の話とも重なってくるのですが、私は石清水八幡宮の宮司さんからこういう話を聞きました。
「海は必ず取り返しに来る」
 埋め立て地は必ず津波で取り返されるということらしいです。川もそうです。川のそばの堤防で何とか守ったり川の近くまで埋め立てたりしてそこに無理無理人が住んでいますが、それは水害によって必ずいつかは取り返されるというふうに思わなければいけない。これはすごい言葉ですよ。東日本大震災でも、岩手県でそういうものの考え方に適応した普代村という村があります。そこは、東日本大震災の時、1人も犠牲者が出なかった。どういうところかというと、今から60数年前(1960年)にチリ地震津波があったんですけど、そのときにも被害があったし、明治の津波でもその前の津波でもかなり大きな被害があったところです。チリ地震津波の後、そこの村長がこういうことから決別しなきゃいけないということで、ものの発想を変えたわけです。今の津波の防波堤は、津波がやって来るところの水際ぎりぎりのところに堤防を造ります。川だってそうでしょ? 川の水が来るぎりぎりのところに堤防がある。そうすると、まともに水の力を受けるわけです。ということは、そこに造る堤防にはものすごい金がかかる。で、普代村の村長はこう考えました。津波をなるべく陸側に引き込んで、津波が弱るところにでっかい堤防を造ることです。でっかいと言っても水際に造る堤防に比べれば何分の一かです。津波は弱っているわけですから。で、当時はものすごい反対を受けたんですけど、村長は身を挺して決行したんですね。そしたら物の見事に、千年に一度と言われるようなあんなでっかい津波が来たんですけど、この堤防のぎりぎりのところで止まったんです。1人の犠牲者もいなかった。だから今、日本中から視察団が行っているわけです。だから、球磨川もそうなんですけど、川の水害も人間がちょっと引っ込まなきゃいけないですね。それで、川の力が少し弱るところにちゃんとした堤防を造る。でもそれは川岸に造る堤防よりは何分の一かでいい。経費がかからずに水の力をそぐことができるんです。錦川もそういう考えで、これから問題があった時に保全していきながら、要らなくなったダムは次々に壊していくというふうにすれば、ニシキーも喜んで、山口の人はやっぱり心優しいね、というふうになると思いますね。

 そういうことを市民にまたは県民のみなさんに、伝えていかなきゃいけません。これには本が要るんです、いい本が。
 人の心に届くのは言葉です。私たちだって「森は海の恋人」という言葉がなければ、こんなにうまくは行かなかった。それで、文章を書く人がいなきゃいけないし、それにイラストレーターがいないといけない。今日来ているスギヤマカナヨさんは、私が子ども向けに一番最初に書かなきゃいけないと思って書いた「漁師さんの森づくり」(講談社)という本、ここに100種類以上の植物・動物が出てくるんだけど、これを全部描こうと思ったって言うんですよね。そんなことできるのかなと思いました。でも虫から魚から犬から鳥から、自然の科学的なこと、私のことも、ありとあらゆるものを描いてくれたわけです。それから本を作るには編集者が要ります。これがいなけりゃ、人の心に届く本はできません。そこに来てくれている小鮒由起子さんが、たまたま講談社にいて、私の担当になってくれた。もう20年前ですよ。これ20年前にできた本なんですけど、まだ売れてるんです。人の心に届いているわけです。それでね、小学校や中学校の試験、塾とか何とか、この本から毎年すごい数の問題が出ているんです。今もう30歳過ぎくらいの人たちはここから出題される、この本によって教育を受けている人たちなんです。だから「森は海の恋人」という考え方はもうほとんど行き渡っているわけです。
 それから、今から17年前、京都大学から林学博士、河川生態学博士、水産学博士の3人が(気仙沼に)来られてですねーー学問の世界では、海は水産学、川は河川生態学、農地は農学、山は林学と縦割りで全部分かれていて、トータル的に海から森までを見る学問がないのはおかしいと言ってたんですけど、そしたら京都大学が「森里海連環学」という新しい学問を世界で初めて起こしてーー牡蠣漁師の私がそこに、ナントカカントカ教授(社会連携教授)を命ずるという辞令が来て。それから17年、今でも京都大学に行ってるんです。夏休みには京都大学から学生が気仙沼に来て、フィールドワークをしています。その中から博士が次々生まれてきている。そういう連中が今、役所のいわゆるキャリア組です。いろんなところに貼り付いてきていますから。山口にだって誰か来ているはずです。
 なんと、林野庁は去年、水産学を修めた学生を採りました。今までにはありえなかった。魚の学問をやった人を林野庁が採るって。
 それから次に『鉄は魔法つかい』(小学館)という本を書いた。(杖を手に取って)最後はやっぱり、本の宣伝をしないといけない(笑)。
 京大に講義に行ったんです。そしたら女の子が一番前でかぶりつきで一生懸命メモを取っている。それで講義が終わったら私のところへにこにこ寄って来て「実は中学まで、自分は文系だと思ってたんです。京大を目指そうとは思ってたんですけど、中学の時に『鉄は魔法つかい』を読んで、あまりの面白さに、理系の面白さに目覚めました。そして方向転換して勉強して京大の医学部に入りました」と。
 これですもんね! 鉄のことが分かれば医者になれる。基本中の基本ですから。ちゃんと彼女のような、そういう子たちが次々に生まれてきています。だからやっぱりいい本を出すことは重要で、しかもこの『漁師さんの森づくり』『鉄は魔法つかい』のイラストレーターはスギヤマカナヨさんで、編集は小鮒由紀子さんで、ベストセラーですよ! (漁師さんの森づくり)35,000部。毎年売れてるんですよ。これ(鉄は魔法つかい)も30,000部くらいはいってます。
 素人の私がものを書くなんて、まったく想像もしていなかった世界です。小学校の時に先生から作文がうまいなと言われたくらいのことで、それからは漁師の生活ですから、ものを書くなんてことから完全にかけ離れた世界じゃないですか。でも、こういう活動を始めたらいろんな問い合わせがしょっちゅうきて、いちいち応えるのが大変になってきたんです。それで、本を書いて「これを読め!」と言おうと思って、書くことになったんですよ。
 本の前に私は、毎日小学生新聞から「子ども向けに分かりやすいようにそういうことを書いてみませんか?」という話があって連載をしていました。それで本の話が来た時、編集者に今までこういうものしか経験がないんだけど、と言って見せたら「畠山さん、これで十分ですよ」ということで、それをベースにしてこの本(漁師さんの森づくり)を書くことができたわけですね。
 私は今でも原稿用紙に鉛筆なめなめ書いていて、編集者から「原稿が汚い」といつも文句を言われてるんですけど。ものを書くってことは、何か特別な訓練で上達することでは、どうもないらしいんだね。それを届けたいっていうハートがあれば、ものはどうも書けるらしいんですよ。だから、「奇をてらって有名な人の文章を盗んでやろうとか、やったら絶対にだめですよ。あなたの言葉で素直に書きなさい」ということを、それでいい、ということを教えてもらって。編集者の小鮒さんに「あなたの人間性には問題があるけども、あなたの書いた文章は好きです」と言われた(笑)。それ以来、そういうことをやり始めて、何冊かおだてられて書き始めて、今に続いているわけです。

 もう時間がなくなってきましたね。ミシシッピの話にちょっとふれましょうか?
 ミシシッピ川とニューオリンズの話がまた、すごい話がもうね(笑)。私はもう77歳ですが、80歳で「ミシシッピ物語」を書こうと思っていたら、いろんなことがそれに付随して分かってきて。アメリカにあと何回か取材に行って、80歳の時にそれを出版しようと。これがまた、すごい話で面白いですよ! またいつか、ここに来たときにとっておきますかね。

参加者とのトークセッション

参加者A 模倣しようとしても、なかなかそこまで行き着かない。漁師さんの森作りって、全国的に一生懸命やっていると思うのですが、最初の何年かで後が続かない。僕はそういうのに結構関わっていて、なかなか(耳が)痛かったところがあります。
「ご飯が食べられるのが大事だ」と伺った時に、四国の「いろどり」(徳島県・上勝町)の社長さんが「一番の福祉は、ばさまがたにとっちゃお金を稼げることだ」と言われていて……

畠山 あー、葉っぱでしょ?

参加者A 葉っぱです。町も死にそうだったところが、すごい田舎がすごく活性化して今も続いているという、それを思い出しました。

畠山 私はこの錦川の流域を見てね、錦帯橋だけに頼るのはやっぱり心細いなと思いました。この川の流域はいいですよ。いいところですよ(みなさんが)思ってるよりも。食えますよ。食えるようにすれば子供は産まれますから。
 牡蠣を食えるようにすれば子供は産まれるんです。牡蠣はセックスミネラルともいう亜鉛分に富んでる。川の流域のさまざまな養分が河口の植物プランクトンに集約されているから、あらゆる栄養塩のかたまりが牡蠣なんですよ。これさえ食えば、それは単に男性に効くとかよく宣伝で言いますけど、女性にも効くんですよ。おいしい牡蠣が食えるように環境さえ整えておけば、食えるし、人は増えるんです。大丈夫ですよ。この国は大丈夫ですよ。何回も言いますけど。

ヒマール 活動を模倣しようと思っても続かないというお話でしたが、続かない原因とか、どうすれば続くんだろうかとか、どう思われますか?
 あと、やっぱり地元の人は地元の良さに気付いていないところがありますよね。教えてもらって初めて気付くみたいなことがあると思うんですけど。

参加者A やっぱり結果が欲しいっていうのがあるんじゃないかなと。

畠山 30年もなかなかやれないからね。私たちが30年もやれているのは、それで生活していますからね。それが生活の一部だから続けられる。普通のサラリーマンの方、(ほかの)職業を持っている方が関わるのとはちょっと違うかもしれません。
 でも、なんらかの機会にそういうことを発信していくことも重要ですし、やっぱり最後は教育じゃないでしょうか。やっぱりヒマールにはいい本を出して欲しいなと私は思ってるんですよ。心に届く本をね。それは大事だと思います。それができればしめたもんだね。金子みすゞもいるし、山口県にはいい詩人がいるじゃないですか。やっぱり事を起こすには詩人が一人交じらないとだめですから。理系の人たちだけでは心に届くことは難しいから。人の心に考え方を届けるのは詩人の仕事ですから。ヨーロッパへ行ってね、子どもたちに「あなたの尊敬する人は誰ですか?」と聞いたら、そりゃもう詩人に決まってるんですよ。なんてったって詩人を大事にしなきゃね! この話はまた、すごい世界へ行くんです(笑)。

参加者B 最近「土中環境」(高田宏臣著)という本を読んだんです。土の中の環境、土の中の水の流れや空気の流れというのが書いてあって。森の中のそういうこととか、今まで漠然と思っていたことが結構イメージできるようなことがあって。ちょっと思ったのは、岩国には今、酒蔵が5つあるんですけども……

畠山 獺祭とか?

参加者B あ、獺祭は錦川水系じゃないんですけど、今残ってる4つのうちの2つは最下流にあるんですね。もうほとんど海。

畠山 ここ(ヒマールがある今津)よりもっと下流ですか?

参加者B ちょうどこのあたりです。今まで漠然と、海が近いから塩が混じってどうなんだろうかと思ってたんですけど、錦川って大きな川だから、最下流でも伏流水がすごかったんだろうなと(その本を読んで)最近思ってるんですけど。

畠山 (伏流水)持ってるよね。これ(錦川)が二級河川だなんておかしいよね。一級河川ですよね。大きい川ですよね。

参加者B 最下流に2つ酒蔵が残っていて、1つは何年も前に地下水が悪くなって山から水を運んでやってるんですけど、1つはいまだにそこからの地下水でやってるんですよね。

畠山 いやー、地下水ってものすごいものですよ。うちのほうは福島の原発があるでしょう? あの破裂した原発の周りにも地下水がものすごい流れている。それを汲み上げてタンクに運んでいるわけですよ。地下水を止めようと思って、原発の周りの土を凍らせてしまおうとかしたんですけど、そんなことをやっても全然ダメなくらい、地下にはものすごい川が流れている。日本は背景に山脈があって福島にもすごい森林があり、そこに水がしみ込んで地下水になって流れてるわけですよね。だから福島沿岸域はね、昔からヒラメがいっぱい捕れることで有名なんですが、今、10年魚をとっていない。売れないんです、風評被害で。時々ちょっと(放射能濃度の)数字が上がることがあるから。今ヒラメをとりに行くと(両手をいっぱいに広げて)こんなでっかいヒラメがいくらでもとれる。(森林からしみ込んだ地下水から)フルボ酸鉄が供給されているからですよ。
 岩国の海辺も検証しないといけないと思っています。もちろん空港もできているし、いろんな問題があるだろうと思いますけど、でもやっぱりいい川ですね! こんな川が自分の川だったら、すごいことができるなと思いましたよ。ミシシッピ川へ行ってきてねーーミシシッピ川って長さが3,800キロメートルあるんですよーーこの川が俺のものだったらなあって(笑)、とんでもないことを時々思ったりしてね。(杖を持って)魔法でね(笑)。

参加者C 私は隣の和木町というところに住んでいて、そこにはちっちゃい小瀬川という一級河川があるんですけど。

畠山 ちっちゃくても一級河川なんだね。

参加者C そうなんです。ダムの話がありましたけど。小さい頃結構川岸に遊びに行っていて、チゴガニっていうんですかね、こう(ハサミを)振ったりするヤツがいたり、生き物がたくさんいたイメージがあって。釣りなんかもやってる人がいて(汽水域の)海の底もきれいで、いい川なんだなと思ってたんですけど、ダムができてから河口の小さな生き物たちがいなくなってしまって。

畠山 消えるんですよねー。

参加者C 消えたんですよね。なんでだろうね?って話をいろんな人たちがしてて。昔はアサリとかもたくさんとれていて、バケツいっぱいとってたんですけど、今はもう漁協の人たちがアサリを撒いても全然とれなくて。クロダイかなんかが食ってしまうとか……

畠山 いやー、みんなそのせいにするんですよ。

参加者C よく考えてみると、今、ダムの話があって、フルボ酸鉄が供給されないという話だったんですけど。それは、物理的に堰き止められてフルボ酸鉄が届かない? どういうことなんでしょうか?

畠山 まず、ダム湖でアオコが発生すると、それが鉄を全部とってしまう、植物だから。それがひとつ。それから、滞ってしまうとどうしても酸化するんです。そして底に沈んでしまう。
 もちろんフルボ酸鉄だけじゃなくて、窒素もリンも、ありとあらゆるミネラル分もダムに留まります。それが底にたまる。それをさらえばいいんだけど、ダムって造ってしまったらさらうことをやらないんですよ。結局、砂がどんどんたまってくるでしょ? 首まで砂がたまって、どうするかというとそのダムを水没させて、もうひとつこっち(下流)にダムを造るんです、日本のダム行政は。これがまたいっぱいになったらまたもうひとつ、とやっていたら最後はどうなるか……もう、ものすごい嵐がきて壊れるのを待つみたいな……これはイメージですよ。そこをもう少し、どっちが得かよく考えて……
 でもね、私は京大に行っていて土木の学生とも話をしてるんですけど、土木の学生は、自然を壊すために土木をやるという学生は一人もいないですよ。みんな、なるべく自然を壊さないで、自然に優しい土木をやりたいと思って(大学に)来ているわけです。そういう子たちが勉強していますから。もう少しでね、そういう考えを持った子どもたちがあらゆるところに張りついてきてますから。これで世の中が変わるんだね。大丈夫ですよ。できれば、京都大学を目指していただきたいですね。面白い学校ですよ、あそこは。

参加者D 僕、実は宇部の出身なんです。ちょっと違うんですよね、宇部と岩国って。岩国の方が自然もたくさん残ってるし、川もきれいです、圧倒的に。宇部の川をもう一回いい川に復活させようとするよりは、こういうまだ残ってるところを少し整備していくというのが大事だなと、それをすごく感じました。

畠山 観光的にも考えたらね、錦帯橋だけに頼らずに川の流域までひとつにして見せるのがいい。見せ方も(今は)下手だね。

参加者D 僕は宇部の高校を出てからずっと東京にいて、その後、飛騨(岐阜県)の木工の会社に就職したんです。木でものを作るのに木がなくなったら困るので、畠山さんのところに植える木を送るということもやってた会社にいたので、僕もだんだんと、木工を始めて三十年ですけど、実感を持ってちゃんと自信を持って伝えていけるので、これからはそれを(やっていきたい)。教育が大事だっておっしゃってたけど本当にそうだと思います。

畠山 絵描きさんはどうですか?

スギヤマ こんにちは。スギヤマカナヨと申します。私は一昨年、岩国中央図書館で子どもの本についてお話をさせていただいて、今年は畠山さんと、明日また図書館でお話をさせていただきます。
 先ほどの方(参加者A)が、いろいろと活動が行き詰まって、と話されて、具体的にどういう活動をされているか分からないんですけども。私も畠山さんの本でそのお考えに出会った時に、何かアクションを起こしたい、静岡出身ですが、何か自分も同じようにできることは?と考えたのですが、私もやっぱり同じようにはできなくて。それで、絵描きをやっていて本を書いている私にできるスタイルで、何をやれるだろうかと考えた時に、たまたま小中学校で子どもたちに授業をするというお話をいただくことが多かったので、「山に木を植えました」(スギヤマカナヨ作/畠山重篤監修/講談社)という絵本、それをまるまる子供たちと疑似体験してみよう、と。1年生から6年生まで、森コーナー、汽水コーナー、田んぼコーナー、海コーナーに子どもたちを分けて、それぞれの生き物を作って体育館中をぐるりとつなぐというイベントをやったんです。それとは別に、体育館の各コーナーに図鑑を置いて、例えば木の実を見ながら折り紙で作ったり、石に魚の絵を描いて川のコーナーを作ったり、イベントと交えて教育という形で本の読み聞かせをしながら伝える。子どもたちに芽生えたものを楽しく、さらにつないでいく入り口にしていこう、と。教育ってすぐに結果が見えないからもどかしいんだけど、長い目で見るとこれほど確実なものはない。地道につないでいくことはすごく大切だと思います。模倣じゃなくても自分にできる形でつなげていくやり方があると思う。それこそ、みなさんそれぞれの場所で、今日出会ったことで一緒に手を取り合ってやっていければと思いました。

畠山 編集者はどうですか?

小鮒 錦川のことといっても大きいですよね。(みなさんには)地元で、近い場所のことだけど、やっぱり大きくて、問題意識をポンと提示されると、こんなちっぽけな自分に何ができるんだろう、何もできないような気がしちゃうと思うんですけど。私も、自然環境のことには特に詳しくないし、政治のことにしても経済にしても、そんな難しいことや大きなことは分からない、ってことがしょっちゅうある。
 畠山さんはあらゆるところにつながっている方で、ご縁があって、まさか20年前に(本を)作った時には20年後に岩国のヒマールでこういう場が持てるなんて……当時の自分たちに言ったらどんなに喜んだだろうと思いますけども。20年お付き合いさせていただいてひとつ思っていることは、関係ないことは何もないということです。自分の身の周りで毎日起きていることとか、日常的なことで、ひょっとしたら何を買うかとか、どこに行くかとか、直接は川の問題、政治や経済の問題につながらないことでも、少しずつが全部どこかでつながっていて、自分ができることって自分が大切に思うことを大切にして日常を暮らしていくことじゃないかな、と。
(畠山さんがいつも)大丈夫だと断言してくださるので、どうにかそんな感じでやってきました。今日も盛大に大丈夫だと言ってもらったので、ますます自分のたのしいことをやって生きていきたいと思います(笑)。心地よいことが大事だっておっしゃったから、それってすごく大事なことじゃないかなと思いました。

参加者E 私はほとんど知識もなく、ぽんと参加させていただいたような感じだったんですけど、みなさんのお話を聞いて今感じているのは、心強い感じっていうか、率直な感想としては。私、出身は大島っていう……

畠山 宮本常一!

参加者E あ、そうですそうです!

畠山 今度ね、行きたいんですよ。だって憧れの人だから!

参加者E 私はその中(大島)で、あまり深く考えることもなく、あんまり大きい川はない島なので山と海に、あまり意識することなくまみれて育ったという感じで。こうやって山とか海とかを分けるんじゃなくてつなげて見る視点というか、そういうのを教えていただいて、すごく世界がつながっている感じがしました。

畠山 いやー、私は宮本常一から学んだんですよ。いろいろね。

参加者E 本当に、ご縁とか自然とか人も全部、つながっているのをすごい感じました。

畠山 自然科学なら森・川・海でしょ? でもさすが京都大学だね、「森里海連環学」って、そこに「里」を入れたんですよ。里って人間ってことですよね。人間の意識というか、それは理系だけじゃなくて文系も絡めて物事を考えなきゃいけない、つまり人間を交えて考えなきゃいけないということです。そういうふうに当てはめれば、この錦川水系をどう見るか、どうグランドデザインしていくか、というのは見えてくると思います。それは賛成・反対というイメージじゃなくてね、みんなで考えればいろいろ答えが見えてくる。いいとこですよ、ここは。本当に。

「around me 私と世界」は、ヒマールが下記のような趣旨で2019年に始めたシリーズ企画です。
vol.1 テーマ「街」2019年9月
vol.2 テーマ「難民」2019年12月
オンライン版 テーマ「私と新しい世界」2020年4月~
*新型コロナウイルスの感染が拡がる中、オンラインでゲストを迎えてのトークライブを計5回配信しました。

「around me 私と世界」
私をとりまくいろいろなこと。
知らなかったこと、知りたいこと、
知っているつもりのこと、
知っておくべきこと。
身近なことも遠くのことも。
ヘヴィーな話題もライトな話題も。
もっと当たり前に話せる場を。
私のこととして考えるきっかけを。
誰かと一緒に、誰かを通じて。

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