エッセイ「新しい世界」by Yumiko

 アイルランド北西部の片田舎に家を借りて数ヶ月。隠遁生活をしているときだったので、ロックダウンといわれても、ふだんの暮らしぶりにほとんど変化がありません。
 仕事に支障が出てる多くの人たちには心底同情しています。どうか無理をせず、ご自愛していただきたいと願うとともに、アイルランドが目指している「自分が媒介になって、身体の弱い人を苦しめる事態になるのを避けよう」というアプローチを心がけてほしいです。

 私ごとですが、アイルランドで初めての料理本を出版する予定で5年間準備を続けてきて、あとは印刷に入れるだけというときに、この事態が起こりました。料理イベントの話も複数前向きに進んでいましたが、もちろん無期延期。でも落胆するより「あ、レシピもっと増やせる」と思ったのは、わたしの強みなのか弱みなのか、よくわかりませんが。

 日本がまだオリンピック開催にこだわっていた頃、この国ではcovid-19の感染を減らすための政策が迅速に進められていました。最大のイベントといえるセント・パトリックスデーのパレードが中止になる直前、パブの営業が自粛から禁止になったのは、飲んべえのこの国では異例なんてものではなく、革命に等しい事態だったと感じています。今も、この国の文化のひとつが息をひそめている様には心が痛みます。
 でもね、そこがアイリッシュ。こんな機会じゃないとって、外壁のペンキ塗りしてるパブをよく見かけ、未来に思いをつなぎ、今やれることをやる前向きさが好き。

 今いる小さなヴィレッジのコンビニエンスストアには、早い時点でレジスタッフと客の間にプラスティックのスクリーンが設置されました。マスクは使い方をまちがえると、かえってウィルスの温床になる場合があるので、この国ではあまり積極的に勧められていないようです。よくマスクを顎にひっかけて、またはめちゃうとき、ありません? いけないんですよ〜、顎についてたウィルスが口に運ばれますんでね。そんなことを過去、白血病に罹った母を見舞うときに学びました。今と同じように、マスクは母のため。わたしがウィルス持ち込んだら、母の命取りになったからはめたまでです。
 以来わたしは異常潔癖症で、買ってきたワインボトルを洗ってから冷蔵庫に入れる始末。なので、こういう事態はふつうなんです。

 一見、今は異常事態ですが、私的見解ですけれど、人間らしい生活を取り戻すためのいい機会なのではないかと感じています。
 地球温暖化が問題視され、いつも頓挫するのは「経済」との折衷。大事なのはそこか? 世界中のすべての人に、平等に問われる状況は今回が初めてではないですか?
 いちばん大事なことって何??

 東京で、大きな虹を見たってメールをくれた友人がいます。虹、それも二重で。
 空気がきれいと思っていたアイルランドでさえ、この時期に、いつも見えない山が家から見られるようになって驚いています。

 日本ではとりづらい “ソーシャル・ディスタンス” 2メートルも、ここでは軽く実行可能です。認められた距離(2キロ以内と決められています)で出かけた散歩で、2メートルを保っておしゃべりするご近所さんを見かけました。遠くから大きな話声が聞こえてきたので、てっきりケータイ電話を使っているのと思いきや。
 人より羊の数の方が多いこの国にいると、東京の人混みはほとんど恐怖。ソーシャル・ディスタンスをとるのが不可能という状況を解消すべきときにきているのでは?と強く思います。

 今の家にはテレビがないので、もっぱらラジオ。詩人の国らしく、ロックダウンをテーマにした詩の朗読をとりあげる番組があるのですが、そこで「人はどうしていつも、何かを生産していないといけないと思うのだろう」って一節が読まれ、妙に納得。

 エコロジカルな生活が大きく注目されるようになったのは、ケルティックタイガーとよばれた経済絶頂期のあたりでしたが、今こそそれを試すときなのでは?
 農業国らしく、家で野菜を作る人がさらに増えるのではと思います。今いるところは、そもそも庭にビニールハウスがあるのがふつうなのですけど。
 ウィルスが大気を汚染するものだったら、コクーニング(Cocooning)はさらに過酷なものになっていたはずで、自然と接する自由があるのは幸いです。
 特にこの時期、庭に出ると鳥たちのコーラスが素晴らしく、周辺の農場からは子羊と母羊の掛け合いが聞こえてくるし、自然界は生命力にあふれていて感動的。
 すべてが静止しているように思える日々ですが、さにあらず。

 スイスに「コレラ」という料理があるのは、“大家” さんのキャサリンがスイスに住んでいるので知りました。19世紀にコレラが流行したとき、買い物に出られず家にあるもので料理したパイで、今も伝統料理として現存しているそう。あまり食欲をそそる命名ではないですけど、かたや「コロナ」と名付けられる料理は生まれるのかな?
 買い物には出られる今の状況は、コレラに比べたらずっとゆるいので、みんなふつーに冷凍ピザとか食べているからな〜。
 こういうときに「工夫」をする努力しなくて、いつするの? それが自分に課すひとつのテーマです。

ソーシャル・ディスタス、問題なくとれるカントリーサイド。
裏庭には、こんなペットたちが!母屋の住人が飼ってるんですけど、巣ごもりもまったく苦になりません。そろそろ歯がはえてきてるので、指をちゅーちゅーしてもらうのに若干不安がともなう今日この頃。
夫マーク、巣ごもり中。太って見えるのは着ぶくれです。すぐには読みきれない辞書みたいな歴史の本を楽しんでおります。彼いわく「こういうときに本を読まない人は、もう一生本を読むことはない」ごもっとも。わたしはスコットランドの作家アリステア・マクラウドの短編集を拾い読みしています。シチュエーションがばっちりすぎて、感動が倍増。読み終えたくないので、ゆっくりかみしめています。
うちの前は国道で、見てください、制限速度が時速100キロ!こわくて歩けなかった道ですが、今はがらがら。いつもこうだといいな〜



  • 社会的な「生産」はストップしたけど、私個人の内向きの暮らしは、かつてこんなに生産性にあふれていたことあったかしら?ってくらいに充実。自分がもともと家ごもり系だった…ってことを思い出しました(笑)
    お料理して、お菓子作って、本読んで、大好きなアンの世界にひたって、調べものして。社会に出る前の私って、こんな感じだったわ、って思い出しています♪

  • 仕事だけの人生でいいのか?って問われているのかもしれないですね。自分がやりたいことを生み出していく、生産性というか創造力を身につけるよう試されているところも。なおこさんみたいに、フリーランスでどんどん新しい仕事を開拓できる人は、こういう「宿題のない夏休み」の過ごし方は絶対に上手だと思う!
    ゆみこ


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