今も音楽シーンを牽引するアンディ・アーヴァイン

ほぼ毎日ラジオを聞いていますが、アンディ・アーヴァインのスゥィートな歌声が流れない日は少ないです。リスナーだけでなく、プレゼンターもアンディのファンなのですよね。

まずは彼の詩集のタイトルで、彼自身のテーマソングともいえるこのチューンから。ドーナル・ラニーとアルタンのマレードが共演する豪華なヴァージョンでお届けします。

次はアンディが自書で「持ち歌のなかで、もっとも人気が高い」と明言している歌を。初めてレコードに収録したのは1972年、当時参加していたプランクシティ(Planxty)のアルバム。彼らとの貴重映像でお楽しみください。

Blacksmithは確かに「鍛冶屋」のことですが、日本ではたぶんあまり身近な存在ではなくなっていますよね?
アイルランドのブラックスミスは健在です。馬文化の国ですから馬の蹄鉄を作るブラックスミスの存在は欠かせませんし。
定住せずにキャラヴァンで旅しながら生活するトラベラーズとよばれる人たちがいて、彼らの多くがブラックスミスの仕事をすると聞きます。かつては馬車での移動でしたから、蹄鉄作りが必須だったのも理由のひとつ。そして彼らは伝統楽器のティンホイッスル、イーリアンパイプスの作り手でもありました。

次は、1950年代にアメリカで活躍したアイルランド人グループ The Clancy Brothers(以下クランシーズ)。今彼らの映像を見ると、あまりにステレオタイプなルックスで笑っちゃいますが(失礼)かのボブ・ディランもファンだったそう。ヴォーカリストのひとり、リーアム・クランシーのことを「最高のバラッドシンガー」とコメントしています。

クランシー兄弟はティパレリ出身でアメリカへ移住。ヴォーカリストのひとりトミー・メイカム(Tommy Makem)は北アイルランドのアーマ(Armagh)出身。

クランシーズがユニフォームにしているアランセーターが、彼らの成功のおかげでたくさん売れるようになったのですって。それまでは家族のために編むもので商品価値がでるとは考えていなかったよう。アイルランド人らしい。
クランシーズは1940年代に始まったアメリカのフォーク・リバイバルの流れのなかで登場しました。この流れは日本にも到達し、ピーター・ポール&マリーやジョーン・バエズ、ボブ・ディランなどの音楽とともに反戦をとなえるプロテストソングの在り方も伝わってきました。サイモン&ガーファンクルも然り。デビューまもないポール・サイモンはイギリスに渡り、現地の伝統歌を継承し「スカボロー・フェア」という新たな伝統歌を作り出しています。

アイルランドもアメリカ、イギリスのフォーク・リバイバルの影響を受けてはいますが、なにせテレビもラジオも普及していない時代。家でレコードを聴ける人も限られていたはずです。逆にそれが幸いし、この国ならではの音楽シーンが築かれたのかもしれません。
1960年代にショーン・オリアダが キョートリ・クーラン(Ceoltoiri Chualann)を結成し、庶民の家庭で受け継がれてきた音楽がステージでスポットライトを浴びる音楽へと変化。メンバーだったイーリアンパイプス奏者のパディ・モロニーが脱退して新たに結成したのが日本でもおなじみのチーフタンズ。伝統音楽にかつてなかった流れが生まれるなか、プランクシティはさらに衝撃的な存在として注目を浴びました。
ご紹介したプランクシティの映像は古いですけれど、演奏の斬新さと力強さは今でも「おお!」と感嘆。キョートリ・クーランはアカデミックな世界へ、チーフタンズは海外へ、プランクシティは国内で増えてきていた伝統音楽に疎い輩を刺激するために、それぞれ別の立ち位置でアイルランド音楽を高め広める役割を果たしました。

1970年代。プランクシティを離れてドーナル・ラニーは新たなグループ、ボシー・バンド(Bothy Band)を結成します。女性メンバーが参加しているのは大きな変化。60年代のグループには滅多に女性メンバーがいません。日本と同じで女性は家庭を守るものとされていて、ツアーに出るのが前提のバンドに参加するのには大きな抵抗があったのですね。70年代、女性が参加するグループが急に目立ち始めたのは“自由”の表れといっていいと思います。

アイルランドでしばしば「音楽を形にすると、この人になる」と思うことがあります。ここで記したのもそんな人たちです。
おまけに最近こんなヴィデオを見つけて思い切りやられました。圧巻。
彼は“こども”ではなく、小さなジェントルマンです。

次回は今もっとも注目のミュージシャン特集。

ひき続きお楽しみくださいませ!!




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