今朝、胡瓜を切っているときにサイレンが鳴って、手をとめて包丁を置き、1分間の黙祷をしました。
私は68年前には生まれていないし、いまは戦時中でもないけれど、あの日、こんなふうに胡瓜を切っているときに原爆を落とされた人もいただろうと想像するのは、決してできないことではありません。
サイレンの音と一緒に、開け放した窓から車や自転車の通る音が聞こえてきて、あの車や自転車の上に原爆が落とされたかもしれないのだと、今日をあの日に重ねて考えることは、できないことではありません。
そうして、サイレンが鳴り止んで、ああ、今日でなくてよかったと、この切った胡瓜をこれからパンにはさんで食べられる日常があることに、心から感謝しました。
安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから。
決して。
今朝、ふとんを干し終わったところでサイレンが鳴り、
黙禱をして、わたしも同じことを考えた。
そして、きっと多くのひとが同じように考えているはず、
と思いたい。
……よね。