こちらは「読むロバの会(オンライン読書会)」の会場です。
日々のブログの更新は、ひとつ下の投稿から始まります。
読んで書く、文章に親しみ愉しむ読書会です。
本を読んで感じたこと、考えたこと、それを言葉に、ましてや文章にするのはなかなか難しいかもしれませんが、どうぞ気軽に書いてみてください。
5月の「読むロバの会(オンライン読書会)」
テーマは……
「仕事」
5月末までの1ヶ月間、上記のテーマで選んだ本について、このブログのコメント欄に書いていってください。
過去に読んだ本から選び、オススメ紹介文を書いてもよし。
テーマをもとに自分自身の今月の一冊を選んで、読んだ感想などを綴ってもよし。
匿名でもOK。
何度書いてもOK。
誰かのコメントに返信してもOK。
書き方は自由です。
ヒマール店頭でも、今月のテーマで本をセレクトして並べますので、よかったらチェックしにいらしてください。
ご参加をお待ちしています!
2021年4月の読むロバの会「テーマ;自然/nature」はこちら!
2021年3月の読むロバの会「とにかくうちに帰ります」はこちら!
2021年2月の読むロバの会「広場」はこちら!
2021年1月の読むロバの会 「わたしたちが光の速さで進めないなら」はこちら!
2020年12月の読むロバの会 「今年おすすめの一冊!」はこちら!
2020年11月の読むロバの会 課題図書「地下鉄道」はこちら!
「読むロバの会」がオンライン開催になったいきさつはこちら!
ジョージ・ギッシング『貧者の看護婦』大久保譲訳(平凡社ライブラリー、2020年)
1895年の作品。
田舎の診療所で看護婦として働いた女性が、体を壊しただけでなく、
「魂を堕落」させてしまったと告白する話。
過酷な労働環境におかれ、職員同士はいがみ合い、患者に対しても
冷淡にふるまう。そのことでますます心を損なっていく。
100年以上前の社会を描いたものではあるけれど、いま現在でも
充分にあり得る話だと思う。
仕事で病む、って全く、仕事って一体なんなんだ?
この作品は、平凡社ライブラリーの『医療短編小説集』という
アンソロジーに収められています。
平凡社ライブラリーは他では見られない個性的な選集をいくつも
出していて、先日『疫病短編小説集』というタイムリーな一冊も
出版されたようです。
そんな「短編小説集」があったとは!
仕入れられそうなので、近々注文してみます。
「しょうもないのうりょく(1)」高野雀(竹書房)
ちせさんが貸してくれたコミックスです。おもしろかった!
誰もがちょっと特別な才能「異能」を持っている世界。
書類を崩さずに詰める異能、
話している嘘の割合がわかる異能、
行った先の降水確率を倍に上げる異能などなど。
異能の種類と強さを知るための「異能検定」があり、
就職も異能が重視され、
その異能を生かして配属先も決める会社が一般的。
そんな世界で、物語の舞台となる小さな会社では
異能をさほど重視しておらず、
紙を水平に貼れる異能、
果物の食べごろがわかる異能、
さっきまでいた場所がわかる異能、
といった、すごいと言えばすごいのだが
どちらかと言うと「しょうもない」異能の人たちが集まっている。
そんな小さな会社ではあるのだけれども、社長の弟の企みで
コンサル会社から「他人の異能がわかる」異能の人物が送り込まれてきて……
……と文章で説明すると、なんだかものすごい物語のようですが、
あっという間にたのしく読めてしまう、
とてもおもしろい、オフィスを舞台にした漫画なのです。
会社勤めの経験がある人には「あるある」感もあるはずでー。
「この異能を、学歴に置き換えてみると」とか
「社員を管理する会社と自由にさせる会社とどっちが」とか
深読みしようとすればできなくもないのでしょうけれど、
これは、そういうことは考えずに
おもしろーと思って読むほうがよいと思います。おもしろいです!
2巻はいつ出るのかなー。たのしみ!
『しょうもないのうりょく』第2巻は6月28日発売です!
おたのしみに!
自分の異能を知りたがらない、というスタンスが好きです。
ぜひそうありたいものだ。
パノス・カルネジス『医者の倫理』岩本正恵訳(白水社、2006年)
『石の葬式』という、ギリシャのとある村を舞台にした連作短編集に
収められた作品。
『貧者の看護婦』からの連想でこの作品を思い出したのだけど、
ここに出てくる医者はニセ医者なんだった。
40年以上も医者の仕事をしてきているニセ医者。
2年前に虫垂炎の手術を施した若い娘が医者のもとを訪れ、
高圧的な義理の父親から、医者か肉屋のどちらかと結婚するように
言われたが、肉屋は嫌だから助けてほしいと彼に告げる。
そこで彼のとった行動は……という話。
さほど深刻な感じはなく、どこか緩んだ空気のなかで何事かが
始まり終わる、というのが、この連作短篇に通じた作風。
『医者の倫理』というタイトルはもちろんほとんど冗談のような
もので、そもそも医者でもないのに医者をやっていることが倫理的に
まずかろうし、「医者の倫理」に背く行為を実際にしていると自分で
述べている。
けれども最後に娘の頼みに応えるような行動を取るところにくると、
どこの誰の倫理に照らし合わせればいいのか分からなくなる。
「仕事の喜びと哀しみ」チャン・リュジン著/牧野美加訳(クオン刊)
8つの短編集。どれもとてもおもしろいです。
韓国の「いま」がリアルに描かれている、とも感じます。
するする読めるので、どんな話か説明するより読んでもらうほうが早い!と思ってしまうのですが、ちょっとずつ、説明してみます。
「幸せになります」
職場で同期ではあるのだがほとんど交流のない「私」と「ピンナオンニ」。私が職場で結婚式の招待状を配り始めると、親しくもないオンニからなぜかメッセージが届くようになり、仕方なく一緒にランチを食べに行くことに。じつはオンニもまもなく結婚の予定があり、結婚式の準備の進め方を私に教えてもらいたいのだった。
「仕事の喜びと哀しみ」
中古品の売買ができるアプリ「うどんマーケット」を開発している会社に勤める「私」。その「うどんマーケット」に数週間前から一日に100件近く、しかも中古品ではなく開封もしていない新品を投稿し続けているユーザー「カメの卵」がいた。不法に入手された物ではないのか、そうでないにしてもこれほど同じ人物の投稿ばかりだとアプリのイメージに関わる、と懸念する代表から私は、カメの卵に直接会って話をしてくるようにと命じられる。
「俺の福岡ガイド」
結婚後すぐに配偶者を交通事故でなくして退職してしまった「ジユさん」。1年後、思い切ってメッセージを送ってみた「俺」にジユさんから「今、福岡で暮してるの」「遊びにおいでよ」と返信が。俺はそのやりとりの最中に飛行機のチケットを予約するという行動力で、ジユさんに会いに、2泊3日の福岡旅行へ。
「やや低い」
売れないミュージシャンの「チャンウ」がなんとなく作った「冷蔵庫ソング」。恋人の「ユミ」が動画にしてYouTubeにアップすると、あっという間に話題の曲になり、名の知れた企画会社から「契約したい」と連絡が。その会社は、冷蔵庫ソングをレコーディングしてデジタルシングルの音源をつくり、その収益でアルバムをつくろう、と言うが、チャンウは、冷蔵庫ソングはあくまでもYouTube用であり、そんなふうに音源やアルバムをつくることはできない、と拒む。
「助けの手」
結婚7年目で念願の家を購入した共働きの夫婦。こだわりぬいた家をきれいに保つため、家政婦サービスを利用することを考え、業者を通してお手伝いさんを紹介してもらったが、なかなか満足できる人に出会えない。「4人目のおばさん」は第一印象こそよくなかったものの、初めて「家を任せたい」と思え、隔週でお願いすることに。
「101回目の履歴書と初めての出勤」
卒業後、インターンや契約社員として3つの会社で働いてきた「私」は、定期採用の募集が出るたびに数え切れないほどの履歴書とエントリーシートを書き、ついに、初めて正社員として採用され、緊張と意気込みをもって初出勤の日を迎えた。
「真夜中の訪問者たち」
ポータルサイトの関連会社に勤める「女」が最近任された業務は、インターネット上の書き込みのモニタリング。「ラブホ」「セックス」などの単語を検索し、投稿ルールに違反する書き込みを延々と削除していく。女が住んでいるのはオフィスとしても住居としても利用できる「オフィステル」なのだが、ある夜から、深夜に呼び鈴が鳴るようになり、ドアののぞき穴からのぞくと、毎回違う男がいるのだった。
「タンペレ空港」
ワーキングホリデーでアイルランドへ向かう途中に経由したフィンランドのタンペレ空港。「私」はそこで一人の老人に出会う。帰国後、試験と就職活動に追われ、放送局でプロデューサーの仕事につくために下請け制作会社に就職して仕事に追われていたとき、父が倒れ…。
あらすじ、説明の書きぶりが絶妙で、どれもすごく気になります。
え、そこからどうなるん?まさか短篇だからそこで終わりってことも
あったりするんか?
「うどんマーケット」?
「冷蔵庫ソング」?
いろいろ気になります。
反応してもらえて嬉しいです。
なるべくネタバレしないように書いたので、これで終わり、ってことはないよ。
あ、「101回目の履歴書〜」だけはほんとうにものすごく短くて、あまり大きな展開はないけど。
こんなに短いのに、こんなにおもしろいってどういうこと!?
と個人的に唸ったのは、
「仕事の喜びと哀しみ」「真夜中の訪問者たち」です。
それぞれ違うおもしろさがあるので、ぜひ読んでみてー。
永嶋恵美『一週間のしごと』(創元推理文庫、2018年)
高校生ふたりと中学生ひとりの三人組が、巻き込まれた事件を
解決しようとする話。
「一週間のしごと」というタイトルは、有名なロシア民謡の
フレーズからとられていて、章立ても「土曜日に渋谷に出かけ
見知らぬ子供を連れてきた」から始まり、日曜日に〜、月曜日は〜、
と続いて、「土曜日再び」で終わる。
あの『一週間』という歌は、子どものころからなじんでいる割に
歌詞の意味は不明なところが多くて、そもそもこれが一週間の
しごとだなんてのんびりしてるんだなあ、と思わずにはいられない。
いろいろな解釈の仕方はあるようだけれど、自分の中に残る
不思議な感触はそのままにしておきたいものです。
テュリャテュリャテュリャテュリャリャ
「一週間」、あれは確かにふしぎな歌だ。
替え歌は聞いたことがあるけど、替え小説は初めて。
中高生の探偵推理もの? おもしろそうだ。
ポール・オースター『ガラスの街』柴田元幸訳(新潮文庫、2013年)
オースター「ニューヨーク三部作」の第一作目。
主人公のダニエル・クインは「ウィリアム・ウィルソン」という筆名で
ミステリー小説を書いている。
ある日、「ポール・オースター」という名前の探偵あてにかかってきた
間違い電話に、なぜか自分がオースターであると名乗ったことから、
奇妙な仕事を引き受けることになる。
結果としては、小説家という「職業」でもなく、探偵の「仕事」でも
なく、何だかわからない「役割」をふられていたことになるのだけど、
これを読むといつも「仕事」と「役割」の意味やありようを考えることになる。
さらに、「ニューヨーク三部作」の第二作目『幽霊たち』を続けて
読むとますます考えさせられる。
『幽霊たち』では、ブルーという探偵が「ブラックという名の男を見張れ」
という仕事を引き受けたところから始まる。
やがて、見張っているのが誰なのか、見張られているのが誰なのか、
誰がどういう役割を果たしているのかも分からなくなっていく。
たしかに、仕事って、肩書や分類としての職業だったり、あるものごとにおける役割だったり社会を構成するものだったり、人によっては生活そのもの、その人そのものだったり、収入を得るためのものであったり生きがいであったり、ただなんとなくやっていることだったりどうしてもやりたいことだったり嫌々やらされていることだったり、なかなか定義が難しい。
自分から見る場合と、人から見ての場合でも違うような気がするし。
ニューヨーク三部作、「仕事」と「役割」の視点で意識して、読み返したくなりました。
「貧者の看護婦」「しょうもないのうりょく」「仕事の喜びと哀しみ」どれも読んでみたいです。興味のある本を頭の上にのせたらあらすじがわかってしまう能力があるといいなぁって最近すごく思います。
ちょっと遅いですけど、3月の課題図書「とにかくうちに帰ります」津村記久子著
この本を読んで、周りの人達の見方が変わったような気がします。職場の同僚に対して色々な角度からその人を見ることが出来るようになったっていうか、自分自身の許容範囲が広がったていうか・・。うまく言えませんが、3月の自分が一番必要としていた本をジャストなタイミングで読めて嬉しかったです。
私はオニキリさんにリスペクトしました。人は見た目じゃわからないですね!
仕事ってなんなんですかね〜。仕事はするけどほどほどでプライベートを大事にして生きていけるといいなって思いました。
『とにかくうちに帰ります』の感想、ありがとうございます。
仕事ってほんとに何なんですかね。
仕事に関する辛さや苦しみや、恨みや呪い、あるいは喜びや充実感などなど、
働くひとたちの話を聞きながら、結局いつも「仕事って何なんかね……」という
ところに至ります。
津村さんの小説のなかには、人生とか生活とか、とにかくそのひとの全体が、
仕事とそれにまつわる諸々にぐわーっと浸食される状況が描かれているものが
いくつもあって、読めば読むほど「仕事って何なんかね……」という気持ちに
なります。
「1984年に生まれて」ハオ・ジンファン著/櫻庭ゆみ子訳(中央公論新社)
まだ半分も読めておらず、よって、今後の展開がどうなるのかわからないのですが、ここまでの内容はかなり「仕事」というテーマにひっかかりそうなので書いてみます。
1984年春、文化大革命が終結してしばらく経ち、下放していた田舎から天津市の工場へ戻ってきた父・沈智。半年後に第一子の誕生を控え、仕事は安定しているし工場から部屋ももらえそうなのだが、あるとき自分の中にある「外へ出たい」「世界を見てみたい」という気持ちに気づく。
具体的な経緯は、本の前半ではまだ途中までしか書かれていないのでわかりませんが、沈智は生まれて間もない娘と妻を置いて天津を離れ、1994年に母子はイギリスへ沈智を訪ねますが、1995年には離婚。沈智は、2006年春には一人でプラハに暮らしています。
2006年春、沈智の娘・軽雲は、大学卒業を目前にして進路を見失い、プラハの父を訊ねる。父からは留学を勧められるが、軽雲はそうしたいとも思えず、留学や進学や就職や結婚を決めていく周囲の友人たちの中で、自分だけやりたいこともやりたくないことも特になく、母に言われるがまま知人のコネで地元の統計局に就職する。けれど、仕事をするうち、同じ日々の繰り返し、これからもこのまま一生続くかも知れない同じ日々が軽雲に迫ってきて、友人の「ルームメイト募集」をきっかけに突然職場を辞め、北京へ出ていく。
そして、どうやらこのあと、作家の道へ進むのではないだろうか、と思われます。後半を読めていないのでわかりませんが、「ハオ・ジンファンが放つ衝撃の自伝体小説」と本の帯に書いてあるので。
この本を読んでも、自分や周りの人のことを考えても、思うことなのですが、「仕事」ってそれだけ単体で切り離して考えることはできないもののように思います。
前の投稿で、ちせさんが津村記久子さんの小説について「人生とか生活とか、そのひとの全体が、仕事とそれにまつわる諸々にぐわーっと侵食される」と書かれていましたが、津村さんの小説はほんとうにそのとおりなんだけれども、一方で、仕事って人生とか生活とかそのひとの全体を構成する一つのものであって、侵食されるもなにもない、と思ったりもします。
軽雲は自分自身がどうありたいかわからなかったから進路を決められずにいたし、沈智も軽雲も自分の人生を考えたときに仕事を辞めたり模索したりしているし。
「自分」で考えたらその人生やわたしそのものを構成するものの一つ、「社会」で考えたらその社会を構成する役割の一つ、ということになるのかなー。でも、よくわからないですが。
あるいは、鶏が先か卵が先か、みたいなことか?
確かに、ひとを構成するもののひとつであり、社会を構成する役割の
ひとつ、と言えるね。
ある時期、自分が仕事と戦っているような気分でいたせいか、
ついつい仕事を自分と対立するものとして捉えてしまいがちなんだけど、
そっちからだけじゃなく、あっちからもこっちからも考えてみたくなったな。
仕事と戦う、そういう捉え方も確かにあるね。
対立するもの、というのとはちょっと違うかもしれないけど、以前読んだ井川直子さんによるインタビュー集「シェフを『つづける』ということ」(ミシマ社)に登場するシェフの中に、まさに「戦う」という感じで仕事に対峙している人がいたように記憶しています。
料理を作るシェフと一口にいっても、その仕事への対峙の仕方は人それぞれ違うのだなー、と感じたことを思い出しました。
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