こちらは「読むロバの会(オンライン読書会)」の会場です。
日々のブログの更新は、ひとつ下の投稿から始まります。
読んで書く、文章に親しみたのしむ読書会です。
本を読んで感じたこと、考えたこと、それを言葉に、ましてや文章にするのはなかなか難しいかもしれませんが、どうぞ気軽に書いてみてください。
4月の「読むロバの会(オンライン読書会)」
テーマは……
「学校」
4月末までの1ヶ月間、上記のテーマで選んだ本について、このブログのコメント欄に書いていってください。
過去に読んだ本から選び、オススメ紹介文を書いてもよし。
テーマをもとに自分自身の今月の一冊を選んで、読んだ感想などを綴ってもよし。
匿名でもOK。
何度書いてもOK。
誰かのコメントに返信してもOK。
書き方は自由です。
ヒマール店頭でも、今月のテーマで本をセレクトして並べますので、よかったらチェックしにいらしてください。
ご参加をお待ちしています!
2022年3月の読むロバの会「テーマ:写真」はこちら!
2022年2月の読むロバの会「テーマ:菓子/スイーツ」はこちら!
2022年1月の読むロバの会「テーマ:雪・氷」はこちら!
2021年12月の読むロバの会「テーマ:今年の一冊」はこちら!
2021年11月の読むロバの会「テーマ:K-BOOK」はこちら!
2021年10月の読むロバの会「テーマ:酒」はこちら!
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2020年11月の読むロバの会 課題図書「地下鉄道」はこちら!
「読むロバの会」がオンライン開催になったいきさつはこちら!
『保健室のアン・ウニョン先生』
チョン・セラン著/斎藤真理子訳(亜紀書房)
ほかの人には見えないもの(いわゆる霊だったり、人間の欲や願い、悲しみや愛がゼリー状の物体や膜になっていたりするもの)が見えてしまうアン・ウニョン。病院で働くのが辛くなって(悲しみのゼリーが多い)転職し、高校の養護教諭として働き始めます(高校生のエロエロゼリーのほうがまし)。が、この学校はなんかおかしい、なんかいる……。創立者の孫で漢文教師として勤務するホン・インピョ(強力な愛の膜に包まれた人物)とともに、BB弾の銃とレインボーカラーのおもちゃの剣で、その謎と邪悪なものに立ち向かう「養護教諭アン・ウニョン10の事件簿」。
先にNetflixでドラマ化されたものを観てしまっていました。
ドラマは、なんだこれー!?わけわかんないー、と思いながら観終わったのですが、ドラマで“察してね”という感じで流されていた事柄が原作ではちゃんと書かれているのでよくわかって、これはもう、めちゃくちゃおもしろかった!です。
ドラマは途中で終わってしまっているようで、原作ではアン・ウニョンとホン・インピョの関係が最後まで描かれているのもよかったー(満足)。
作者のチョン・セランがあとがきで「私はこの物語をただ快感のために書きました。一度くらい、そういうことがあってもいいんじゃないかと思いました。ですから、ここまで読んできて快感を感じられなかったとしたら、それは私の失敗ということになります。」と書いていますが、私は快感!感じられました。
さておき、学校。斎藤真理子さんの訳者解説に、韓国の高校、大学受験のシステムについて詳しく書かれています。韓国の高校生と先生は本当にたいへんだ。
カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』土屋政雄訳、ハヤカワepi文庫、2008。
淡々とした語りのうちに、登場人物たちの置かれた特異な状況が少しずつ浮かび上がってくるのは、イシグロの小説のひとつの特徴。『わたしを離さないで』でも、語り手が回想する幼い日々――全寮制の「ヘールシャム」での謎めいた学校生活を読みながら、読者はどこか落ち着かない気持ちを抱きつづけることになります。それは成長の過程で外部の「世界」と徐々に向き合っていく子供たちの不安とも重なります。
この小説で、「ヘールシャム」は、残酷な世界から子供たちを守る空間であると同時に、世界の残酷さを学ぶ場としても描かれています。これはあらゆる学校がそなえている二重性なのかもしれません。
『わたしを離さないで』、テーマ「学校」で、まったく思いつきませんでした!
たしかに、全寮制の学校が舞台なのに、残っている印象が強烈過ぎて、具体的な設定の記憶が薄れていました…(あまり思い出したくない記憶、みたいなものなのかもしれません)。
法月綸太郞『ノーカット版 密閉教室』(講談社、2002年)
こちらは日本の高校を舞台にした推理小説。
オリジナル・タイトルは『ア・デイ・イン・ザ・スクール・ライフ』、という
ことで、小説本体はすべて、ある日の学校の中での出来事。
本格推理小説であるとともに、高校生らしい青臭さや、むきだしの自意識の
痛々しい描きかたによって、本格的な青春小説としても読ませる。
いま読んでも、あのころの痛みを実感できてしまう。こわいなあ。
めんどくさいけど、やっぱりおもしろいです。
青木淳悟『私のいない高校』講談社、2011。
1999年の春。カナダからの留学生ナタリーを受け入れることになった高校2年のとあるクラス。彼女を迎えるクラスメイトと教師たち、そして留学生自身の1学期が細かく語られていきます。
とはいえ、ナタリーが主人公ではありません。タイトルのとおり、学園ドラマの主人公になるような特定の「私」がおらず、生徒と教員がおりなす高校全体の動きが描かれる小説です。フレデリック・ワイズマンのドキュメンタリー映画を思わせる(そういえばワイズマンも『高校』を撮っていますが)不思議な距離感が魅力的で、ときどき読み返したくなります。
藤原辰史『給食の歴史』岩波新書、2018。
学校といえば給食がつきもの。しかし給食という制度はいつ、どうして誕生し、どのような変化を遂げてきたのか――改めて考えてみると分からないことばかりです。というわけで、前から気になっていた本書を読んでみることにしました。
新書版ながら充実した内容で、教育はもちろん、医学、政治、経済などが複雑に絡み合う「給食」の歴史が解き明かされます。いや、逆に、「給食」という一見小さなテーマから、近代日本のさまざまな側面に新たな光を当てているというべきでしょうか。とても面白かったです。例えば「日本の給食史を世界史のなかに位置づけ直しながら考える」(p. 12)という視点。ボーア戦争が給食の誕生に大きく関わっていたとは!
著者の専門は食と農業の歴史。他にも『トラクターの世界史』『戦争と農業』『ナチスのキッチン』など、魅力的なタイトルの本を書いています。
藤原辰史さんの著書、気になりながら一冊の本としてはまだ読んだことがなく、何から読もうかなーと思っていたのですが、これはおもしろそう! 入手します。
新書からもう2冊。
佐藤八寿子『ミッション・スクール あこがれの園』中公新書、2006。
稲垣恭子『女学校と女学生 教養・たしなみ・モダン文化』中公新書、2007。
吉屋信子『花物語』このかた、『クララ白書』『笑う大天使』などなど、多くの少女小説・マンガ・映画の舞台になってきたミッション・スクール。『マリア様がみてる』の引用から始まる佐藤八寿子の著書は、明治以来のミッション・スクールの歴史を辿りながら、日本社会における「ミッション・スクール」のイメージを分析した面白い研究です。
一方、稲垣恭子『女学校と女学生』は、ミッション系に限らない「女学生」イメージを取り上げています。メディアに描かれた女学生像を論じるばかりでなく、往時の学校の記録や日記などから女学生の肉声を拾っているのも貴重です。教師につけるニックネームで、甘い教師が「サツカリン」、虫の好かない教師が「ナフタリン」とか、にやけた教師を「ルート8」とか(√8=2.828=ニヤニヤ)!
「学校」を舞台にした小説、といえば、『ハリー・ポッター』シリーズ!
魔法学校。本当にあってほしいな、と思っています(自分は気づいていないだけで)。
ハリー・ポッターはシリーズぜんぶ映画でも見ましたが、断然、本がおもしろいです!!
ホグワーツは、全寮制の学校のため、ひとつの大きな社会であり、混沌とした世界でしたね。ハリーは安らげる家がなかったので(伯母の家ではひどいいじめを受けていた)、休暇が終わってホグワーツに戻ることを彼は喜んでいました。ただ、ホグワーツでは良いことより、悪いこと、怖いことのほうが多く起こっていたような。主人公たちが最初から「大人」だった、ある程度成熟していた(魔法使いとして)印象もあります。いろいろと日本の学校とは違う面があると思います。
松浦理英子『最愛の子ども』(文藝春秋、2017年)
私立玉藻学園高等部2年4組のクラスメイトであり〈目撃者〉であるわたしたちは、
日夏、真汐、空穂からなる疑似家族〈わたしたちのファミリー〉を設定する。
日夏は〈パパ〉、真汐〈ママ〉、空穂は〈王子様〉。
「校門までの道のりはつまらない一日のように長く、「華やかな女子高校生ライフ
なんてどこにあるんだろう?」という疑問が頭をよぎりがちなのだが、一方で「卒業
して、高校時代の変わりばえのしない毎日を思い出す時、いちばん頻繁に目に浮かぶ
のは、今日みたいな日に放課後の教室で、日夏と真汐が空穂の顔をいろんなふうに
変形させて遊んでいるシーンかもしれない」と考えるのも、わたしたちの日常だ。」
複数人の目撃者からなる〈わたしたち〉の視点で語られる〈ファミリー〉の姿は、
学校にいる間だけの限定された役割だと、語るほうも語られるほうも、読んでいる
わたしたちも了解している。
玉藻学園は共学校でありながら、女子クラスと男子クラスにわけられている、
というひとごととは思えない設定。
男子クラスには男子クラスの、これまた学校内限定の、全く麗しくない人間関係が
描かれている。
エアポケットにつかまってしまい、数カ月ご無沙汰しました。
「学校」というテーマに虚を突かれました。かつては、淡々と、時には必死で生き抜くべき日常的環境。そこを出たら、忘れてしまった(たまに思い出すけど)。それに「ついて」書いたものを読むことは、あまり思いつきませんでした。
ただ、最近、小学生の孫二人と付き合うことが多くなって(学校はつまらないという愚痴を聞きつつ)、いまの学校というものと間接的に向き合っています。
とりあえず思いつくのは、『赤毛のアン』のアンは学校の先生をやっていたなとかいうことです。ギルバートとの出会いも、学校でいたずらされたことが大きなきっかけになっていました。ほかの本も読んで感想を書きます。
そういえば、「寄宿舎制の学校」というものも、当然、子供の頃に外国の物語の中で知ったのでした。どの本で初めて出会ったのか、自分では覚えていないので、家族に訊いてみると『小公女』という答え。なるほど……。
消灯後、ずらりと並んだベッドの中で、舎監の目を盗んでひそひそ話をする、とか、多くの仲間が親元に帰るクリスマス休暇に、主人公は(たいてい孤児なので)ひっそりした寮に残る、とか、寄宿舎制ならではのエピソードが断片的に思い浮かぶのですが、無数の小説や映画の記憶がごちゃまぜになっていて、どこで見たのか読んだのか、判然としません。
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