こちらは「読むロバの会(オンライン読書会)」の会場です。
日々のブログの更新は、ひとつ下の投稿から始まります。
読んで書く、文章に親しみ愉しむ読書会です。
本を読んで感じたこと、考えたこと、それを言葉に、ましてや文章にするのはなかなか難しいかもしれませんが、どうぞ気軽に書いてみてください。
6月の「読むロバの会(オンライン読書会)」
テーマは……
「ともだち」
6月末までの1ヶ月間、上記のテーマで選んだ本について、このブログのコメント欄に書いていってください。
過去に読んだ本から選び、オススメ紹介文を書いてもよし。
テーマをもとに自分自身の今月の一冊を選んで、読んだ感想などを綴ってもよし。
匿名でもOK。
何度書いてもOK。
誰かのコメントに返信してもOK。
書き方は自由です。
ヒマール店頭でも、今月のテーマで本をセレクトして並べますので、よかったらチェックしにいらしてください。
ご参加をお待ちしています!
2021年5月の読むロバの会「テーマ:仕事」はこちら!
2021年4月の読むロバの会「テーマ;自然/nature」はこちら!
2021年3月の読むロバの会「とにかくうちに帰ります」はこちら!
2021年2月の読むロバの会「広場」はこちら!
2021年1月の読むロバの会 「わたしたちが光の速さで進めないなら」はこちら!
2020年12月の読むロバの会 「今年おすすめの一冊!」はこちら!
2020年11月の読むロバの会 課題図書「地下鉄道」はこちら!
「読むロバの会」がオンライン開催になったいきさつはこちら!
J.K.ローリング『ハリー・ポッターと賢者の石』(静山社、2019年)
この本のなかでいちばん好きなところ、クリスマスに学校に居残ることになった
ロンとハリーが、ふたりで休暇を過ごすところ。
「寝室には二人しかいなかったし、談話室もいつもよりがらんとして、暖炉のそばの
心地よいひじかけ椅子に座ることができた。二人は何時間も座り込んで、串に刺せる
ものはおよそなんでも刺して火であぶって食べた———パン、トースト用のクランペット、
マシュマロ———そしてマルフォイを退学させる策を練った。実際にうまくいくはずは
なくとも、話すだけで楽しかった。」
ともだちと、楽しいことを楽しむのはもちろん楽しいけど、暗い楽しみを分かち合える
っていうのがいいなあ、と思う。
「マルフォイを退学させる策」、こういうの、子どものころはあれこれ考えたなあ。
ばかげた考えを披露し合っては、ばかみたいに笑ったなあ。
ハリー・ポッターでもうひとつ大好きなところ、それはふくろうが郵便物を運んできて
くれるところ!あれはほんとにうらやましい……。
そうだった!「ともだち」と言えば、ハリー・ポッターがあった!
シリーズすべて読んでいるのに、思いつきませんでした。
ハリー・ポッターには、理解者だったりライバルだったり、尊敬できる相手だったり恋心を抱く相手だったり、ときには嫉妬したり憎しみを覚えたり、さまざまな「ともだち」との関係が描かれているなあとあらためて気づきました。
「暗い楽しみを分かち合える」、確かにそういうことができるのも「ともだち」ならではかも。
小学生のとき担任の先生がすごく嫌いで、ともだちと替え歌を作って、毎日学校から帰って秘密の場所で待ち合わせをして、「先生が嫌いだ」という内容のその替え歌を恨みを込めるように一緒に歌っていたことを思い出しました。
ハリー・ポッターでうらやましいのは、わたしはバタービールかな。飲んでみたい!
ハリー・ポッターは本も映画も3作目で止まっているので、
今度こそ完遂したい!という思いで取り組んでいます。
ハリー、ロン、ハーマイオニーの三人とハグリットとのあいだの
関係もすごく好きです。
「ハグリット」ではなく「ハグリッド」ですね。
失礼しました。
「1984年に生まれて」ハオ・ジンファン著/櫻庭ゆみ子訳(中央公論新社)
先月、半分あたりまで読んだところで、5月のテーマ「仕事」の視点から書いたのですが、続きを読んだら6月のテーマ「ともだち」の視点からも書けそうなので書いてみます。
まだ読んでいる途中だった5月に「『自伝体小説』とあるので、軽雲は作家になるのかな」というようなことを書きましたが、「自伝体小説」というのは「自伝の形をとった小説」ということらしく、読了しても「軽雲」は作家にはなりませんでした。
あのあと(5月に書いた部分のあと)、軽雲はいろいろあって心を病んでしまい、北京から実家のある天津へ戻ります。自宅での半年間の療養生活を経て、ようやく外出できるようになった軽雲は、まず地元のともだち「微月」を訪ね、そのとき初めて、微月がなぜ卒業後すぐに結婚して以来ずっと地元にいるのかの理由を知ります。
さらに旅行ができるようになった軽雲は、各地で暮らす友人たちを訪ねて回る旅に出ます。ともだちの一人ひとりと久しぶりに再会して話をする中で、それぞれがそれぞれの人生を生きていることを知り、その人に対して昔とは違った印象を覚えたり、その人の思いに心を寄せることでふっと父のことが理解できたように思えたり、自分のことや将来のことを落ち着いて考えることができたりします。
旅のあと、軽雲は国家公務員試験を受けることに決めるのですが、それに対してともだちは全員、大いにいぶかりました(軽雲は卒業後、統計局に就職してすぐに辞めていたから)。でも、軽雲はもはや、ともだちの反応をただ聞き、釈明することはありませんでした。
「私は他の人間から思想の枠組みをはめられることを恐れると同時に、その枠組みが非常に強力だと思いこんでいた。しかし、実際は、注ぎ込まれるものは全て断片的なものにすぎず、たとえ私がそういった断片の寄せ集めで作られたものだったとしても、私はその寄せ集めよりもずっと大きい存在のはずだった。私がその断片をきちんと認めるべきで、私が断片に認めてもらうべきではないのだ。限りなく深く広い知識の世界に入っていっていいのである。自由とは、どこまでも拡大し得る自分自身のことなのだ。」
「仕事」と「ともだち」と、両方の視点から書くことができる作品、
たぶん他にももっといろんな方向から読むことができそうな作品だね。
この作者だとSFっぽいところもあるのかな、と思ってたけど。
そうなんです、全然SFじゃないなーと思いながら読んで。
最後の最後に、ん?とSFの香りがしなくもないのだけれどー。
SFとは思わず読んだらいいと思います。
「父と娘」「母と娘」という視点からも確実に読める一冊でした。
おすすめ。
ともだちって、その言動がつい気になってしまう存在であり(この本の前半)、でも、言われたことや相手の出方をいちいち気にしなくてもいいのがともだち(この本の後半)、ということなのかな、とも感じました。
絲山秋子『沖で待つ』(文藝春秋、2006年)
この小説も「仕事」の視点でも読むことができそう。
『仕事」というか、「現場」というか。
同期入社のふたりが交わした秘密の約束。
その約束を果たすときが訪れて……、という話。
同期のつながりって、ともだちとはまた違うのかも
しれないけど、家族や身内には頼めないようなことも、
他人だからこそ信頼して預けることができる、って
よく分かるような気がする。
けっこう前に読んだので、細かいところは覚えていないのだけれど。
同期だからといって、誰とでもこんなふうに付き合えるわけではないから、やっぱりともだちなんだろうね。
「他人だからこそ信頼して預けることができる」、私もわかる。
絲山秋子の作品を読むと、恋愛に至ることのない男女の友情ってある、と確かに思える。
大人が中心になって進む小説には、男女の友情を描いたものは
少ない。と思う。
ポール・オースター『鍵のかかった部屋』柴田元幸訳(白水Uブックス、1993年)
ニューヨーク三部作の第三作目。
訳者あとがきより、
「新進気鋭の批評家と評される「僕」のもとに、ある日一通の手紙が舞い込む。
かつての親友ファンショーの妻からで、夫が何の前ぶれもなく失踪してしまった
というのである。彼女は「僕」に言う。夫は失踪前、もしも自分の身に何か起き
たら、いままで書きためた原稿をあなたに見せるように、と言っていました。
それが出版の価値ありと判断したら、あなたがその手はずを整えてくれるはずだ、
と。
こう聞かされて、「僕」はすっかりとまどってしまう。一人の男の遺著管理人
となるか、それとも彼とその作品の死刑執行人となるか、いやおうなしに選択を
迫られたのだから。さんざんためらった末、意を決して読んだその原稿は、他の
いかなる作品とも似ていない、何とも不思議な作品であった……」
これもまた、ともだちだからこそ預けられてしまった用件を果たそうとする話。
と要約することもできるけど、この小説では用件を引き受けてしまってからが
話の中心だし、全然こころ温まる友情でもない。
ファンショーの足跡を辿るうちに、だんだん「僕」の人生は「僕」のものでは
なくなっていく。
この本、今回あらためて「ともだち」という視点から読んでみると、いままで
よくわからなかったところが、意外にすんなり入ってきた気がする。
ファンショーの側から見ると、「僕」はいったい何だったのか。それを思うと、
実はこころ温まる話になった可能性もある、かもしれない。……ないか。
併せて、「ともだち」という視点から読むことで、
作家であるともだちの伝記を書く、というところでは『エドウィン・マルハウス』、
顔を見せないともだちとの再会、というところでは『羊をめぐる冒険』、
ともだちとそのパートナーと「僕」との関係、というところでは『ノルウェイの森』を
想起した。
「きょうのできごと 増補新板」柴崎友香(河出文庫)
柴崎友香作品、まだ5〜6冊しか読んでいないのですが、読んだ中では一番好きな一冊。
「正道」の引っ越し&大学院進学を祝う飲み会が開かれた3月24日。
その日(から翌朝まで)のできごとが、正道の新居での飲み会に集まった友人たちのうち、「けいと」の視点、「真紀」の視点、「中沢」の視点、「かわち」の視点、「正道」の視点からそれぞれ描かれています。
画面のこっち側から全体のできごとを客観的に見たり、ひとりの誰かの視点に立って見たりするんじゃなく、あっちからもこっちからも「きょう」という日のできごとを何回も角度を変えて見られるのが、まずとてもおもしろい。
それから、それぞれの関係がそれぞれ愛しくて、全体の空気感もたまらなく愛おしい(のは、わたしが彼らの時代から遠く離れてしまったはずなのに、まだ近くにいたい気持ちが少しあるからだと思うけれども)。
読んでいて、そこの空気を感じるんですよね、深夜の車内の空気、正道の家のお風呂場の空気、平日の昼間の動物園の空気……そんなふうに書ける柴崎友香、すごい!と思っています。
増補新板は、「きょうのできごと」に、「きょうのできごとのつづきのできごと」と「もうひとつの、きょうのできごと」があわせて収録されている、ということです。これらもまた、よい。
大島真寿美『ピエタ』(ポプラ文庫、2014年)
18世紀のヴェネツィアを舞台にした小説。
縁あって出会った三人、貴族の娘と高級娼婦と孤児院出身の女性とが、
共に過ごす一夜の場面が素晴らしい。
「「楽しいわね」
とクラウディアさんが言った。「いつか、こんな夜があったことを、思い出す日が
来るのかしら」
「今宵は特別な夜なのですわ」
とヴェロニカが応えた。「たとえ、わたしが貴族ではなくスカフェータに捨てられた
赤ん坊だったとしても、一世を風靡したコルティジャーナであったとしても、そう、ど
こでどういう暮らしをしていたとしても、わたしがわたしであるかぎり、わたしは今宵、
ここにこうして流れ着いたような気がいたします。流れ着く、なんておかしいかしら。
でも、そんな気がするのです」」
立場や身分の違いを超えて、ひととひととが結びついて、心を通わせるさまはあたたかい。
太宰治『走れメロス』(ちくま文庫、2017年)
何周まわってもいい話であることは間違いないと思うんだけど、
太宰治の言葉遣いは、わたしの笑いのツボにぴったりで、どう
してもはまってしまう。
氾濫する川を死に物狂いで泳ぎ渡り、ようやく峠を登り切った
ところで山賊に襲われるも、それをなぎ倒し、走って峠を下っ
たあと、さすがにへとへとになって倒れたところから始まる
メロスの心の声(なのか?これいったい誰の声?)。これが
ほんとうにおもしろい。長いけど、暗唱したくなるぐらい
おもしろい。
そもそも「走れ!メロス」って言葉は、自分で自分に言ってる
んだな。初めて気がついた。
メロスとセリヌンティウスの友情を是とするのなら、いまの
世も、誠実さや信頼や正直であることをないがしろにしない
世界であってほしいな。
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