こちらは「読むロバの会(オンライン読書会)」の会場です。
日々のブログの更新は、ひとつ下の投稿から始まります。
2022年、今年もご一緒にいろいろな本を読んでコメントをやりとりしていきましょう。
読んで書く、文章に親しみ愉しむ読書会です。
本を読んで感じたこと、考えたこと、それを言葉に、ましてや文章にするのはなかなか難しいかもしれませんが、どうぞ気軽に書いてみてください。
1月の「読むロバの会(オンライン読書会)」
テーマは……
「雪・氷」
1月末までの1ヶ月間、上記のテーマで選んだ本について、このブログのコメント欄に書いていってください。
過去に読んだ本から選び、オススメ紹介文を書いてもよし。
テーマをもとに自分自身の今月の一冊を選んで、読んだ感想などを綴ってもよし。
匿名でもOK。
何度書いてもOK。
誰かのコメントに返信してもOK。
書き方は自由です。
ヒマール店頭でも、今月のテーマで本をセレクトして並べますので、よかったらチェックしにいらしてください。
ご参加をお待ちしています!
2021年12月の読むロバの会「テーマ:今年の一冊」はこちら!
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「雪・氷」で真っ先に思い浮かんだのは、ジャック・ロンドンの「火を熾す」。
2021年4月のテーマ「自然」の会で書いたのであらためては書きませんが(過去の会へのリンクがあるので飛んでいただけましたら!)思い出すだけで痛いような冷たさと静かな絶望を感じます。
本年もよろしくお願いします。先日、関東南部でも雪が降りました。
ジャック・ロンドンは、『白い牙』もアラスカの凍てつく原野の描写から始まっていましたね。
「氷結した水路の両岸から、暗い唐檜の森が渋面を向けてきた。木々は、先ごろ吹いた突風のため、こびりついていた白い霜を剥ぎとられ、たがいにもたれかかるように身を寄せ合い、薄れゆく光のなかで、黒々として不吉に見えた。茫漠たる静寂があたりを支配していた。大地そのものが荒涼として、生気もなく、動きもなく、そのうえ寒さと寂しさとがあまりにもきびしくて、底から伝わってくるのは、悲哀といった感情ですらなかった」(深町眞理子訳、光文社古典新訳文庫)。
この機会に『マーティン・イーデン』も読んでみたいのですが、翻訳は品切れ重版未定。つい2018年に出たばかりなのに……。
大久保さん、本年もよろしくお願いします。
「マーティン・イーデン」ええっ!?そんな……かなしすぎます。
さて、ちょうど『雪』『氷』というタイトルの本を持っていたので、連休を使って読み返してみました。
中谷宇吉郎『雪』(岩波文庫、1994)
もともとは1938年の岩波新書。雪研究の第一人者が、一般読者に向かって雪の仕組みや雪研究の魅力を説いたロングセラーです。理系の学問に、まだ手さぐりの手仕事に近い部分があった時期で、例えば屋外で雪の結晶の写真を撮るときはこんな感じ。
「暫くやっているうちに、いくら外套をきこんでいても何時の間にか身体がすっかり冷え込んで、気がついて見ると足は小刻みにコンクリートの上をとんとんと踏んでいる。慌てて暖い室へ逃げ帰って、スチームの放熱器に腰をかけて暖まるのである」。
さらに中谷は、札幌市内だけでは飽き足らず、十勝岳のヒュッテ「白銀荘」でも写真撮影をすることにします。「それを借り受けて、皆で出かけ雪の降る日は結晶の写真を撮り、天気の良い日は仕方がないからスキーをやろうという案なのである」。この「天気の良い日は仕方がないからスキーをやろう」というフレーズが、なんとも時代がかった呑気さで、好きです。
アンナ・カヴァン『氷』山田和子訳(ちくま文庫、2015)
こちらはうってかわって悪夢のようなディストピア小説。押し寄せる寒波によって人類が破局に向かっていくなか、「私」は「少女」を求め、荒れ果てた町々をさ迷い歩きます。
いろいろな解釈ができる小説ですが(読み返してみて、百閒の『冥途』や村上龍の『海の向こうで戦争が始まる』を連想しました)、今月のテーマにひきつけて言えば、なにより雪と氷に覆われた世界の描写が際立っています。例えば――
「外に出た途端、私は降り積もった雪の量に驚かされた。純白の亡霊のような見知らぬ町が古い町に取って代わっていた。わずかな暗い明りのもと、厚い白の覆いは廃墟の形状を一変させ、細部は不鮮明になって、いっさいの輪郭がそれと見定めるのも難しい芒漠としたものに変貌している。大量の雪が事物の実態と正確な位置を奪い去っていた。……最初は小雪がちらちらと舞っているという程度だったのが、やがて、強い風にあおられた白い雪の塊が地面と平行に飛んでいくようになった。凍えるような寒風に私は頭を低くし、凍結し乾いた雪の粒が脚の周りで渦を巻くのを眺めながら歩いていた。吹き寄せる雪はさらに激しさを増し、やがて視界を完全に覆いつくしてしまった」。
再読、とはいえ、大久保さんの読書スピードはほんとうに速いですね!
「雪」、のんきな(!?)研究のようすを読んでみたくなり、早速注文しました。
テーマにあわせて猪谷六合雄「新版 雪に生きる」を読もうと思っているのですが、店で仕入れるたびに売れていき、まだ自分のものにできていません(ありがたいことです)。
中谷宇吉郎の「雪」も注文しましたが、現在重版中とのことで1月後半まで入手できず(重版されていてほっとしました)。
それで、北国の物語なら雪も氷も出てくるだろうと思って、ずっと気になっていた「ノーザン・ライツ」ハワード・ノーマン著/川野太郎訳(みすず書房)を読んでみました。
確かに雪も氷も出てはきます。が、テーマというほどではなく……
しかし、それはさておき、すごくよかったのです。引き込まれて一気に読んでしまいました。
少年の成長の物語でもあるし、家族の物語でもあるし、北米の原住民と白人の歴史と関係を描いた物語でもあるし、近代化と人間の生き方を問う物語でもあると思うのですが、読み終えてわたしが一番考えていることは、相手を思いやる気持ちと自分自身を思ってやる気持ちの接するところ、みたいなこと。まだうまく言えませんが……
無理矢理テーマに関することを書くなら、少年の親友が湖にはった氷の上で一輪車の曲芸を村の人たちに披露している最中、氷の下に落ちて亡くなってしまいます。このことが、主人公の少年にも、亡くなった子と一緒に暮らしていた叔父・叔母にも長く溶けない大きな氷の塊になっているように感じました。
また、前半は、雪に閉ざされ孤立するひとつの家族と、やはり吹雪になれば孤立する小さな村の話で、読んでいてたいへんだなあ、つらいなあ、と思ういっぽうで、羨ましいような、ちょっとだけですがいいなあと思ってしまったのが、自分でもふしぎでした。寒いのはほんとうに苦手なので。
ハン・ガン『すべての、白いものたちの』斎藤真理子訳(河出書房新社、2018)
「白いものについて書こうと決めた。春。そのとき私が最初にやったのは、目録を作ることだった」。作家が選んだ言葉は――「おくるみ うぶぎ しお ゆき こおり つき こめ なみ はくもくれん しろいとり しろくわらう はくし しろいいぬ はくし 壽衣」。それ以外にも、母乳が、白い蝶が、骨が取り上げられます。誕生から死まで、人の一生に現れる「すべての、白いものたち」を描いたこの本は、必ずしも雪と氷についてだけの書物ではありません。
それでも主な舞台となるソウルとワルシャワを結びつけるのは、圧倒的な雪のイメージです。「何年か前、ソウルに大雪注意報が出たときのことだ。激しい吹雪のソウルの坂道を、彼女は一人で上っていた。傘はさしていたが、役に立たなかった。まともに目を開けることもできなかった。顔に、体に、激しく打ちつける雪に逆らって彼女は歩きつづけた。わからなかった、いったい何なのだろう、この冷たく、私にまっこうから向かってくるものは? それでいながら弱々しく消え去ってゆく、そして圧倒的に美しいこれは?」
いっぽう、「一年の半分は雪が降る」ワルシャワで、語り手はナチス・ドイツによって破壊された街の空撮映像を見ます。それはまるで「雪景色のなかのように見えた」。
白茶けた雪または氷の上にいくらかの煤が落ち、まだらに汚れたところのようだった。飛行機が高度を下げると、都市の姿が迫ってきた。雪に覆われているのでも、氷の上に煤が落ちたのでもなかった。建物はすべて倒壊していた。石造りのがれきの白さと、その上が黒く焼け焦げた跡。それが見渡すかぎり果てしなく続いていた。
造本も、色調の異なる五種類の白い紙が綴じられていて印象的でした。
わたしも読みました。
5種類の白い紙が本文用紙に使われているということで最初に見ると、クリーム色やベージュに近いように見える紙もあり、もっと白い紙がいろいろあるだろうに、と思いましたが、読んでいくうちにだんだんと、それらの白い紙がなぜ選ばれたのかがわかってきたように思います。
そして最後に作者がこう書いていて、さらに、なるほど、と。
「私の母国語で白い色を表す言葉に、『ハヤン(まっしろな)』と『ヒン(しろい)』がある。綿あめのようにひたすら清潔な白『ハヤン』とは違い、『ヒン』は、生と死の寂しさをこもごもたたえた色である。私が書きたかったのは「ヒン」についての本だった。」
本は著者だけでつくられるものではないことを、あらためて思う一冊でした。
ぼたん雪、みぞれ、吹雪、霜、氷、それぞれに白さも温かさ・冷たさも違って感じられました。
レイモンド・ブリッグズ『ゆきだるま』(評論社、1978)
原題どおりの『スノーマン』というタイトルのバージョンも出ていますが、内容は変わりません(セリフも地の文もない、絵だけの物語なので)。舞台はイギリス。雪の降った日、男の子が家の前に、自分より大きな雪だるまを作ります。さて家族が寝静まった真夜中、男の子がふと外を見ると、その雪だるまがあいさつをしてきて……。
丁寧に書きこまれた子供の日常に、雪というささやかな非日常がもたらす一晩の冒険。雪だるまの礼儀正しさ(家に入るときはちゃんと帽子を脱ぐ!)がいいのです。
エズラ=ジャック・キーツ『ゆきのひ』木島始訳(偕成社、1969)
同じく幼い男の子の、雪の日のわくわくするような小冒険。ただしこちらの舞台はニューヨーク、男の子は黒人です。大人の目で読んでみると、1963年のアメリカでこの絵本が出た意義、そして(ラングトン・ヒューズやジーン・トゥーマーやリロイ・ジョーンズの訳者である)木島始が翻訳していることの意味も理解できるのですが、それはそれとして、切り絵による雪の表現が素晴らしい1冊。
雪と氷の世界は絵本と相性がよいので、ほかにもいい作品がたくさんありそうです。
絵本ではないのですが、「少年と雪」といえば、忘れられない作品があります。
コンラッド・エイケン「ひそかな雪、ひめやかな雪」(“Silent Snow, Secret Snow”1934)
十二歳の少年ポール・ハズルマンは、あるとき不意に「雪の世界」のイメージに取り憑かれてしまう。家でも学校でもうわの空。ポールは退屈な現実を遮断し、心の中にある一面雪に覆われた「ひそかな、ひめやかな」世界にのめり込んでいく。「彼はいわば見ることを、明白な外部世界を見ることをやめてしまい、その光景を雪のまぼろしに、雪の気配に、郵便配達のおそいひそやかな接近に置き換えたのだ。……日ごとに、ベッドから起き出し、窓ぎわまで行き、外の(いつもに変わらず)まったく何もない、雪のない街路を見ることがむずかしくなっていった」(河野一郎訳)。
一種の「異常心理もの」ながら、雪の夜のような非現実的な静けさをそなえた短編。大学生のころ人に勧められ、一度耳にしたら忘れられないタイトルに惹かれて、まず英語で読み、そのあと日本語訳でも読みました。志村正雄編『アメリカ幻想小説傑作集』(白水Uブックス、1985)に収録されていますが、この本も今は絶版ですね……。
『ひそかな雪、ひめやかな雪』、読みました。
ベッドの中で郵便配達の気配/足音を待つ場面の描写がいいですね。
読んでいると目の前で秘密を明かされているような気分になって、
どきどきしました。
ユベール・マンガレリ『おわりの雪』(白水Uブックス、2013年)
もうずいぶん前に終了してしまいましたが、NHK-BSで『週刊ブックレビュー』という番組が
放送されていたことがあります。
その番組の中で、詩人の蜂飼耳さんがこの本を紹介されていて、そのおかげで出会うことが
できた本です。
冬がきて、ぐっと寒くなってくると、この本のことを思い出します。
ただ文章を読んだだけなのに、自分が経験したことのように思い出す、そういう種類の本です。
主人公である「ぼく」は、古道具屋が売りに出していたトビに心惹かれ、どうしてもトビを
買いたい、と思うようになります。
「ぼく」は養老院で老人たちの散歩に付き添う仕事をしていますが、病で寝たきりの父親の
年金と「ぼく」の収入の半分とで家計をまかなっているため、なかなかトビを買うだけの
お金を手にすることができません。
そんななか、トビを買うのに充分な額を得るために、ある仕事を引き受けることに決め、
雪の道に歩き出していきます。
その帰り道の一場面、
「ぼくは鉄道橋をわたって、川原へおりた。川の水にはさわれなかった。岸辺に近づく途中で、
足もとの雪がくずれるかもしれないと思ったのだ。でも、水が飲みたかった。ぼくは長靴の先で
雪のなかに溝を掘りながら進んだ。用心したのは正解だった。そのあと、大きな雪のかたまりが
くずれて川に落ちたのだ。そのかたまりはいったん水に沈んでからぷかりと浮かび、流れにはこ
ばれていった。ぼくはやっと岸辺にたどりついた。しゃがんで手袋をぬぎ、てのひらで水をすく
って、ひとくち飲んだ。水は透明で、氷のように冷たかった。」
とにかく静かな静かな物語で、雪のつもったなかで耳がつーんとするみたいな感じの静かな
空気のなかを少しずつ進んでいって、やがては雪もやみ、「ぼく」が靴をみがいて、お話は
終わります。
「空へ 悪夢のエヴェレスト1996年5月10日」ジョン・クラカワー(著)/海津正彦(訳)/ヤマケイ文庫
読めば読むほど、なぜ、多くの人がこうまでしてエヴェレストに登頂したいのか、私にはまったく理解できない。
理解できないのに、なぜ、読み進んでしまうのか、それが自分でもわからなくてふしぎです。
著者のジョン・クラカワーは1996年、盛んに行なわれるようになっていたエヴェレストの公募登山隊(高額な参加費を支払い、ガイドの案内とシェルパのサポートを受けて登頂を目指す)の実態を取材しアウトドア雑誌にレポートするため、ニュージーランドの有名ガイドが率いる隊に参加しました。本書はその記録です。
隊の中で著者を含む5人が頂上に到達しますが、天候が急変。ほかさまざまな要因が複雑に影響したと考えられ、同時期に山頂付近にいた4つの遠征隊の隊員もあわせると、12人が亡くなる大惨事となりました。
著者と同じ隊に参加した顧客の中には、このとき登頂して亡くなった難波康子さんもいました。
この本で、雪や氷が美しいものとして描かれている箇所はひとつもありません。
登山者の排泄物や吐瀉物がぶちまけられた雪、空になった酸素ボンベが何千と捨てられた雪原、吹き溜まりの雪からのぞく死者の手足。
氷の斜面、氷壁、吹き付ける氷粒。氷は危険なものでしかありません。
嵐の夜から一夜明け、外に取り残されている難波とウェザーズを救助に出たハッチスンから聞いた話の記述から。
「スチュアート・ハッチスンは、数メートル向こうのベック・ウェザーズへ注意を移した。ウェザーズの頭部も、分厚い氷の装甲に覆われていた。ブドウ粒くらいの大きな氷の玉が、髪や睫にびっしり付いていた。ウェザーズの顔面にこびりついていた氷の堆石物をすっかり取り除いてはじめて、このテキサス人もまだ生きているとハッチスンは知った。」
このあとウェザーズは、もうどうにもできないと判断されてその場に置いていかれるのですが、なんと翌日に自力で第4キャンプまで戻ってきて、それでもやはり、もうどうにもできないからとテントに置いていかれそうになるですが、またもなんとか歩けるようになり、救助者の手を借りて第2キャンプまで下ります。そこでヘリコプターの救助を待つのですが、1人しか乗れないと言われてほかの人が優先され……読んでいて「ああ、またか」と思ったところ、30分後にヘリコプターがふたたび飛んできて無事に搬送されました。ウェザーズは、片手ともう片方の手の指をすべて失いましたが家に帰ることができたのでした。
人の運命、というものについても、いろいろと考えてしまいます。
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