3月の読むロバの会(オンライン読書会)開催中!

こちらは「読むロバの会(オンライン読書会)」の会場です。
日々のブログの更新は、ひとつ下の投稿から始まります。

読んで書く、文章に親しみ愉しむ読書会です。
本を読んで感じたこと、考えたこと、それを言葉に、ましてや文章にするのはなかなか難しいかもしれませんが、どうぞ気軽に書いてみてください。

3月の「読むロバの会(オンライン読書会)」
テーマは……
「写真」

3月末までの1ヶ月間、上記のテーマで選んだ本について、このブログのコメント欄に書いていってください。

過去に読んだ本から選び、オススメ紹介文を書いてもよし。
テーマをもとに自分自身の今月の一冊を選んで、読んだ感想などを綴ってもよし。
匿名でもOK。
何度書いてもOK。
誰かのコメントに返信してもOK。
書き方は自由です。
ヒマール店頭でも、今月のテーマで本をセレクトして並べますので、よかったらチェックしにいらしてください。

ご参加をお待ちしています!

2022年2月の読むロバの会「テーマ:菓子/スイーツ」はこちら
2022年1月の読むロバの会「テーマ:雪・氷」はこちら
2021年12月の読むロバの会「テーマ:今年の一冊」はこちら
2021年11月の読むロバの会「テーマ:K-BOOK」はこちら
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2021年1月の読むロバの会 「わたしたちが光の速さで進めないなら」はこちら
2020年12月の読むロバの会 「今年おすすめの一冊!」はこちら
2020年11月の読むロバの会 課題図書「地下鉄道」はこちら

「読むロバの会」がオンライン開催になったいきさつはこちら

3月の読むロバの会(オンライン読書会)開催中!」への7件のフィードバック

  1. 大久保

    スーザン・ソンタグ『他者の苦痛へのまなざし』北條文緒訳、みすず書房、2003。
     「1839年にカメラが発明されて以来、写真はいつも死と連れ立っていた」。
     最初からあまり重い話も、と思って迷いましたが……。写真が世界の惨事、特に戦争をどのようにとらえてきた(いる)のか。クリミア戦争・南北戦争から二つの大戦を経て、直近のアメリカのアフガニスタン侵攻まで、戦争がどのように写真に撮られ、それが人々に(とりわけ戦火から遠く離れた土地の人々に)どのように見られてきたかを考察します。
     ソンタグは、写真が当事者の苦痛を知らせる役割を評価する一方、写真のつくる「距離」が、苦痛を他人事にしてしまう危険も指摘します。ソンタグの思考は行きつ戻りつし、簡単な結論は出ません。だから読者も、読み進めながら、写真について、戦争について、共感について、自分なりに考えることになります。

    返信
  2. 大久保

     フリオ・リャマサーレス『無声映画のシーン』木村榮一訳、ヴィレッジブックス、2012。

     母が遺した30枚の写真を受けとった「ぼく」。その一枚一枚を眺めながら、鉱山町オリェーロスで過ごした子供時代を思い出し、物語を綴っていきます(もちろん写真そのものは本には含まれず、言葉で暗示されるだけです)。一枚の写真につきひとつずつ、28の短編からなる小説は、1960年前後のスペインの雰囲気をたくみに描きながら、同時に、「記憶」と「写真」についての魅力的な洞察を含んでいます。
     「人は時間を相手に戦っている――勝つ見込みもないのに、向こう見ずで果てしない戦いを行なっている――が、その中にあって写真は、絵画や小説よりもいっそう大きな成果を挙げてきた。日常的なもの、慎ましやかな光やエピソードから生まれてくる写真は、絵画や小説と違って恐怖と驚異、雑駁なものと演劇的なものをない合わせることによって、非現実的なものを現実的なものに、移ろうものを永遠のものに変える」。

    返信
  3. 大久保

    リチャード・パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫』上・下、柴田元幸訳、河出文庫、2018。

     20世紀初頭、ドイツの写真家アウグスト・ザンダーは、『二十世紀の人間たち』という写真集のアイデアを思いつきます。「写真という普遍言語で書かれた、膨大かつ包括的な、人間たちのカタログ。それは人々の容姿、性格、社会的地位を子細に吟味し、さまざまな代表的タイプをそれぞれ、いくつものカテゴリー、サブカテゴリ―から成る全体的構図の中に位置づけ、相互参照する作品になるだろう」(上巻、p. 61)。
     「あらゆる人間」のポートレイトを収めた写真集という、最初から完成するはずのない壮大な企画(ザンダーは実在の人物なのに、まるでミルハウザーの小説のキャラクターのようです)。しかし出版された一冊目の『時代の顔』は、ナチス政権によって禁書にされながらも、写真史に残る傑作になりました。
     同書に収録された多くの「顔」のなかでも、特に印象的な一枚が《若い農夫たち》。語り手がデトロイトの美術館でこの写真に出会うところから、パワーズのデビュー作は始まります。写真に撮られた若い三人の農夫たちの「その後」と、現代(1980年代)アメリカの物語が交差して、戦争と移民と写真の時代だった20世紀を描き出します。

    返信
    1. ヒマールじゅんこ 投稿作成者

      ようやく読了!

      まず、表紙に使われているザンダー撮影の写真が、とても印象的!
      この写真から一つの小説が生まれるのも当然だと思わせる、魅力的で、いろいろと想像してしまう写真です。

      ザンダーが実在の人物で、この写真も1914年に実際に撮影されたもので、ストーリーも歴史上実在する人物・できごとが登場しながら展開していくので、読んでいるうちにどこまでが事実で、どこからがパワーズの創作なのかわからなくなってくる(そんなこと、気にせずにたのしめばよいのですが)。
      登場するヘンリー・フォードやサラ・ベルナールについて、わたしはあまりよく知らなかったので、読みながら「へえ、そうなのか。そういう人だったのか」と思ったりしたのですが、あ、そういえばこれは小説だった、と思ったり。

      時間や場所を行ったり来たりしながら語られるストーリーの中で、第19章「安価で手軽な写真」は書き出しから後半に差し掛かるまで、ここだけまるで、写真についての評論(?)のようでした。

      「カメラの開口部が、両方向への入口を形成し、それを介して、被写体と鑑賞者の両方が別の時代を覗き込む。被写体は、記録の永久性を意識しつつ、ひとつの記憶を未来に向けて送り出す。鑑賞者は、のちのある時点においてその記憶に寄り添い、そこに見えたものを崩壊から護ろうと務める。両者はともに、両方の瞬間に立ちあっている。両者はともに、時間のなかに漂うことの啓示を味わい、時間を水平的に体験する。」(下巻・132頁)

      1枚の写真は現実をそのままに伝えるようでいて、見る者によってまったく別のものになる(100枚プリントされて100人が見れば100通りに)ということがよくよくわかりました。
      「〜見る者一人ひとりの想像力という、それぞれ勝手に改変を加える暗室に。」(下巻・213頁)

      とにかくパワーズ作品、これもおもしろかった!!!!!

      返信
  4. ヒマールじゅんこ 投稿作成者

    確定申告の準備がなかなか終わらず、出遅れました!
    本日無事に申告書類を提出してきたので、どんどん読んでいきたいと思います。
    大久保さんが書いてくださった『舞踏会へ向かう三人の農夫』は下巻の1/3あたりまで読んだので追って!
    まずは先に、この1冊から。

    『見えているパチリ! 出来事と写真、その後』対談と随想 畠山直哉+大竹昭子(カタリココ文庫)

    大竹昭子さんが出されているカタリココ文庫の最新刊。
    昨年の春、写真家の畠山直哉さんが雑誌『新潮』4月号に発表された随想「心の陸前高田」を大竹さんが読んで、これは本にしたい、対談もしたい、ということで、その随想を収めつつ、昨年の秋に東京で開催したトークイベントの内容も収録して出された一冊です。
    畠山さんと大竹さんとは、震災後4年にわたって対話を重ね、それをまとめた『出来事と写真』(赤々舎)という本も出版されています。なので、今回のは『〜、その後』。

    畠山直哉さんは陸前高田生まれで、震災の津波でご実家を流されお母様を亡くされ、以降、故郷の写真を撮りながらの思考を続けているそうです。

    対談の中から、畠山さんが話されたことをひとつ。
    「僕は写真というのは基本的に記録や報告であり、情報のたぐいだと思っています。(中略)ここはどこ、これは何、誰が何をやっているところ?というのがまず伝わってきて、作家性、作品性、写真史、芸術性といったものはその先、ファースト・インパクトを咀嚼していく中で生まれてくる事後的な何かだと思うんです。見る側の記憶や知識が総動員されて零コンマ五秒くらい後にやってくる。その知的な領域についてはボキャブラリーが豊富に揃っているし、議論すると確かにおもしろいんです。(中略)でも、それ以前にあった最初のきっかけ、つまり、だれがどこで、なにをやっているか、という情報というか報告というか記録というか、そういうものを無視して零コンマ五秒後の話をすることは出来ないんじゃないかと思ってます。」
    「もっと大事なことがあったような気がする」「思考以前の何か」について、写真を撮りながらずっと考えているというお話。

    大竹さんと畠山さんのやりとり、「ちょっといいですか?」と割り込んでくる観客とのやりとりも、なんというか親密なんだけれど馴れ合わない感じでおもしろく、話題が広がったり絞られたりするようすもトークイベントらしくて愉しみました。

    返信
  5. ちせ

    村上龍『限りなく透明に近いブルー』(講談社文庫、1978年)

    「リリー、車でドライブしたことあるだろう。何時間かかけて海とか火山に行くんだ、
    朝まだ目が痛い時に出発して途中景色のいい所で水筒からお茶を飲んだり、昼には草っ
    原で握り飯食べたりしてそういうありふれたドライブだけど。
     その走ってる車の中でね、いろいろ考えるだろう?きょう出発の時カメラのフィルタ
    ーが見つからなかったけど、どこにしまったのかなとか、きのうのお昼テレビに出てた
    あの女優の名前なんていうんだったかなとかさ。靴の紐が切れそうだとか事故でもやっ
    たら恐いなとか、もう俺の身長も止まったなとかね、いろいろ考えるだろう?するとそ
    の考えが車から見る動いていく景色と重なっていくわけ。
     家とか畑がどんどん近くなって、また後ろに遠去かるだろう?それで風景と頭の中が
    混じり合うんだよ。道路の停留所でバス待ってる人達やヨロヨロ歩いてくるモーニング
    着た酔っ払いとか、リヤカーにみかんをいっぱい積んだおばさんとかさあ、花畑や港や
    火力発電所がね、目に入ってすぐにまた見えなくなるから頭の中で前に思い浮かべてい
    たことと混じっちゃうんだよ、わかるか?カメラのフィルターのことと花畑や発電所が
    一緒になるんだ。それで俺は自分の好きなようにその見る物と考えていたことをゆっく
    り頭の中で混ぜ合わせて、夢とか読んだ本とか記憶を捜して長いことかかって、何て言
    うか一つの写真、記念写真みたいな情景を作り上げるんだ。」

    およそ三十年ぶりに読み返しましたが、描写が精細で緻密で、こんなんだったっけ、と
    驚きました。

    返信
  6. ピンバック: 4月の読むロバの会(オンライン読書会)開催中! | きょうのヒマール

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