こちらは「読むロバの会(オンライン読書会)」の会場です。
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読んで書く、文章に親しみたのしむ読書会です。
本を読んで感じたこと、考えたこと、それを言葉に、ましてや文章にするのはなかなか難しいかもしれませんが、どうぞ気軽に書いてみてください。
8月の「読むロバの会(オンライン読書会)」
テーマは、毎年8月の恒例です。
「戦争と平和」
8月末までの1ヶ月間、上記のテーマで選んだ本について、このブログのコメント欄に書いていってください。
過去に読んだ本から選び、オススメ紹介文を書いてもよし。
テーマをもとに自分自身の今月の一冊を選んで、読んだ感想などを綴ってもよし。
匿名でもOK。
何度書いてもOK。
誰かのコメントに返信してもOK。
書き方は自由です。
ヒマール店頭でも、今月のテーマで本をセレクトして並べますので、よかったらチェックしにいらしてください。
ご参加をお待ちしています!
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『イムリ』三宅乱丈
全26巻のコミックです。最終巻の発行は2020年ですが、すでに入手しにくくなっていて、21巻までは古本で、22巻以降は電子書籍を購入して読みました。
一部の特権階級が“術”によって群民らを支配し、科学技術を発展させて繁栄を続けている民族カーマ。
そのカーマに心を持たない奴隷として使われる民族イコル。
カーマに酷い仕打ちを受けながらも自然と共に暮らす民族イムリ。
4000年前に激しい戦争をしていた3つの民族でしたが、文字を持つカーマだけがその歴史を知り、文字を持たないイムリとイコルは過去の多くを忘れて生きていました。
……が、“伝説のイムリ”の登場で、4000年前に終わったと思われていた民族間の戦争がふたたび始まります。
読んでいて、家族や愛する人を殺されて怒りに燃え、戦いを決意する人物に共感し、戦うことを望まずに、罠であったとしても対話で解決しようとする人物にいらいらしてしまう自分にハッとしました。
“術”であろうと兵器であろうと力での支配である限り、どの民族が支配者となってもまた戦争が繰り返されるだけなのだということ。
平和への対話は、地道な交渉の継続なのだということ。
選択肢があること、相手を信じること、心が自由であることの大切さ。
難しいテーマにじっくり取り組んだ作品だと思いました。
とはいえ、とにかくファンタジーとしておもしろい!読みごたえがあります!
舞台化されたことがあるそうですが……私としては、ロード・オブ・ザ・リングのピーター・ジャクソン監督か、ゲーム・オブ・スローンズの制作陣に、映画化してもらいたい!
『そこに私が行ってもいいですか?』イ・グミ著/神谷丹路訳(里山社)
タイトルにひかれ、予備情報なしに読み始めたところ、あまりにもおもしろくてグイグイひきこまれ、あっという間に読んでしまいました!
読了後、韓国でティーン向け小説として書かれたものであることを知ってびっくり。ヤングアダルト?児童図書?…いや、もちろんそうであっても内容の濃い読み応えのある小説は世界中にたくさんあるのですが、慰安婦の話とか、かなり衝撃的な描写も多いけれど…と考えてハッと。慰安婦にされた中には、十代の少女も大勢いたのだ、と。
とにかく、ぜひ、読んでください。
帯に「傑作エンタテインメント」と書かれていましたが、まさに!どう展開していくのか予想がつかず、先が知りたくてどんどん読み進んでしまいます。
ふたりの少女が出会って、それぞれ大人になり、年老いて亡くなるまでの人生。日本が朝鮮半島を植民地にしていた時代から、第二次世界大戦、現在に至るまでの時代。韓国、日本、ソ連、ヨーロッパ、アメリカ、海を越えてひろがりすれ違い重なる、壮大で緻密な物語。
読んでほしいので、ネタバレしたくなくて、あまり書きたくないのですー。
ので、最後に著者の言葉からこれだけを。
「人間は複雑で多面的な存在で、完全な善人も悪人もいない。誰もが自らの欲望や利益を前に、揺れながら生きている。日帝強占期(日本植民地期)という歴史の枠組みに閉じ込めて、二分法的に描きたくなかった」イ・グミ
素朴なことを書きます。1年ぶりの今月のテーマを見てふと思ったのが、「戦争文学」や「戦争映画」はあっても「平和文学」や「平和映画」はない、ということです。結局、「戦争と平和」となると、どうしても挙げるのは「戦争の本」になってしまいます。まるで「平和」は「戦争」のつけたしでしかないように。
国語辞典(『大辞泉』)を見ても、「戦争」は「軍隊と軍隊が兵器を用いて争うこと」と簡単に定義できるのに、「平和」は「戦争や紛争のない状態」としか定義できません。
そんなわけで、
カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』ハヤカワepi文庫。
アーサー王がブリテン島を統一し、ブリトン人とサクソン人が平和に共存している時代。ブリトン人の老夫婦が、息子に会うため、住み慣れた村を出て、おそらく生涯最後の旅に出ます。その途中でさまざまな人々と出会い、老夫婦の関係が徐々に変化していくさまが、デリケートかつスリリングに描かれます。
しかし、これは同時に、戦争の起こらない戦争小説なのです。一部のサクソン人は、前の戦争で「英雄」アーサー王に家族や友人を殺されたことを忘れていません。そしてブリトン人たちに復讐するために、新たな戦いの準備をしています。竜や怪物におびえつつ、穏やかにつましく暮らす人々の「平和」な社会は、実は戦争の記憶と戦争の予感で満たされている――そのことがしだいに浮き彫りになっていきます。
なるほど。
『忘れられた巨人』、そういう読みかたはしていなかったです。
「戦争の記憶」のほうにばかり気をとられていたような気がします。
「戦争」と「平和」の定義づけについては、「不在の証明は難しい」
という言説に似ていると思いました。
争いも病気も心配ごともない日々をうたいあげて物語をかたるのは
難しい、というのはどういうことなんだろう、と改めて考えてしまいます。
テーマを設定するときに「戦争」でも「平和」でもなく「戦争と平和」としているのは、あくまでも私の感覚なのですが、「戦争」と「平和」を対となる言葉として挙げているわけではなくて、ふたつでひとつの言葉として捉えている、というか…
なので、「戦争文学」「戦争映画」という言葉にも個人的には違和感があって、「戦争平和文学」「戦争平和映画」ではないのかな、と思っています。
大辞泉の「平和」の定義、「戦争や紛争のない状態」を見て。
「戦争」の対として定義するなら、「戦争や紛争に至らないように努力されている期間」かなあ。ベースが平和ではなく戦争になりますが…人類の歴史は戦争の歴史ですもんね。
私が定義してみるなら、「人類が目標として掲げ続けるべき社会の状態」かなあ。
本から話がそれました!
サーシャ・フィリペンコ『赤い十字』(奈倉有里訳、集英社 2021年)
帯文より
「青年が引っ越し先のアパートで出会った、90歳の老女。
アルツハイマー病を患う彼女は隣人に、自らの戦争の記憶を唐突に語り始めた。
モスクワの公的機関で書類翻訳をしていたこと、捕虜リストに夫の名前を見つけたこと、
ソ連が赤十字社からの捕虜交換の呼びかけを無視していたことーーー
ベラルーシ気鋭の小説家が描く、忘れ去られる過去への抵抗、そして未来への決意。」
実際に残されている資料をもとに書かれた小説だけれど、ノンフィクションではなく、
設定された人物たちの動き回るフィクションとしてよくできた作品だと思う。
戦時中よりいっそう過酷な戦後の収容所での様子をあらわす記述を読むと、
戦争がなくても平和ではないということがわかる。
『三ギニー』
ヴァージニア・ウルフ著/片山亜紀訳(平凡社)
三章の途中までしか読めていないのですが(全三章)、書いておきます。
「どうしたら戦争を阻止できるか、お考えを聞かせてくださいますか?」と書き協会への支援として寄付を求めてきた男性からの手紙への返信、という形で書かれた本書。
まずはじめに「貴兄のお手紙は人類の通信史上、おそらく例のないものです」と驚きます。〈教育のある男性〉が、一介の女性である〈教育のある男性の娘〉に、意見を求めるなどということがあるのだろうか、と。
労働者階級の女性たちなら、仕事(武器製造など)を拒否することで戦争の遂行を困難にすることはできるだろうけれども、ついこの間まで「結婚」以外に職業の選択肢がなく、自由に使えるお金もなく、兄弟の教育資金の犠牲となって教育を受けることもできなかった〈教育のある男性の娘〉に、一体何ができるというのか、と。
ようやく得た自由に使える貴重なお金、三ギニーを一ギニーずつにわけて、手紙をよこした男性の協会に寄付するか、それともほかに手紙をよこしてきている女子学寮建て替え基金、女性の就職支援団体、文化と知的自由を護る協会に寄付するか、考えを綴りながら資料を引用しながら検討する過程の中で、〈教育のある男性の娘たち〉がおかれている現状をつまびらかにして、読者にも考えさせていきます。
「フェミニズム」の本ですが、やっぱり「戦争と平和」の本であるとも思う。
つながっている、別の問題ではない、と感じました。
「・・・大学教育を受ければ戦争に反対するようになると考える、いかなる理由があるでしょうか? 〈教育のある男性の娘〉がケンブリッジに進学できるように応援したところで、彼女は学ぶことよりも闘うこと、つまりどうやって学ぶかではなく、兄弟たちと同じ利益を勝ち取るにはどうやって闘うかを考えるのではないでしょうか?」(第一章より)
「・・・どうすれば職業を実践しながら文明人でいられるのか、つまり戦争を阻止したいと考える人間でいられるのか?」(第三章より)
今、ちらりと与党の女性議員を見ただけでも、ヴァージニア・ウルフの懸念はそのとおりになっていて、けれどもそこを超えることを願って第一章では女子学寮建て替え基金に一ギニーを贈るのですが……
この文章が書かれてからもう百年近くが経とうとしているのに……
ウルフの絶望がわかります……
山崎佳代子『そこから青い闇がささやき』(ちくま文庫、2022年)
「ベオグラード、戦争と言葉」という副題がつけられています。
作者はベオグラード在住の詩人、翻訳家。
1990年代に起こったユーゴスラビア紛争を、その戦火のもとで
綴った文章をふくむ作品集。
戦争を成り立たせる理不尽、戦地となってしまった場所での暮らし、
戦地から逃れて難民となった人々、亡くなったひと、大事なひとを
亡くしてしまったひと、心を傷めてしまった子どもたち。
詩人の言葉は何を表すにも静かな怒りに満ちて、あきらめることなく
内から外へ取り出されてくる。
文庫版によせられたあとがきより、
「ひとつの国、ひとつの民族を悪と呼ぶことは、正しいことだろうか。
人には人を裁くことができるだろうか。いずれにしろ、1990年代の戦争、
欧米によるメディアで悪とされ、国連制裁を受け、さらにNATOによる
空爆に耐えたセルビアという国で暮らしてきた私たちには、今の地球の
空気があまりにも苦しい。戦争を生みだし、戦争を煽るものは、言葉に
ほかならない。特定の国、特定の民族に対する憎悪に満ちた言葉が飛び
交い、不安と恐怖を作り上げて、人と人との絆、国と国との繋がりが
断たれていく時代にも、安らかな心でありたい。…………」
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